フリーアナウンサーの故・逸見政孝さん(享年48)の妻・晴恵さんが、10月21日に肺胞蛋白症でこの世を去った。61歳だった。
「最後は自宅から送り出されたい…家をよろしくね」
晴恵さんは病床で家族にそう伝え続けていたという。彼女が死ぬ間際までこだわったこの自宅が完成したのは1992年10月。しかしその3か月後、翌年1月に逸見政孝さんの胃がんが発覚する。そしてその年の12月25日、夢の新居に1年も暮らすことのないまま、逸見さんは息を引き取った。
晴恵さんに残されたのは21才と18才、まだ学生のふたりの子供と12億円の借金だった。生命保険や預貯金をかき集めて7億円。それでも、差し引き5億円の大借金が残った。
48才という若すぎる夫の死を受け入れられないまま、思いを馳せる間もなく、時間があれば通帳を開いてお金の計算をする日々が続いた。夫の死後、なんとか金利だけでも返そうと、晴恵さんはエッセイや講演活動をはじめた。全国のどこへでも依頼があれば講演に向かった。
しかし、夫の死から半年たった1994年6月、日帰りの人間ドックを受けた晴恵さんに子宮頸がんが見つかった。さらには血液細胞のがんのひとつである骨髄異形成症候群という難病も発症。
自分も夫と同じがんに…晴恵さんはパニックに陥った。子供たちには病状を話した。しかし、他人にはひと言も病状を話すことはなかった。同情は買いたくない、治して元気になってから伝えようと決めていたという。それは「借金を抱えているっていっても、家を売ってしまえばどうせ裕福なのに」と晴恵さんに冷たい視線を浴びせる心ない人たちへの意地でもあった。
1994年11月に発売された晴恵さんの自著『二十三年目の別れ道』(フジテレビ出版)に、彼女はこんな思いを綴っている。
「世間では家を売れば、生活に困ることもないだろうに、と取り沙汰されていますが、私はちょっと違う。あなたが、ここまで築いてきた仕事。その名声、そしてみなさんの記憶。あなたを親しんで、思い返していただける、よりどころになるものが欲しいのです。家があれば、なにか心棒ができるような気がして」
晴恵さんのがんは早期治療が功を奏し、1年に1度の検査で済むようにはなった。それでも体に異変を感じるたびにがん再発の恐怖と闘い続けていたという。そして、晴恵さんは闘病のかたわら、講演やエッセイなどで5億円の借金を必死に返し続けた。
「まだ全然返し切れてないのよ。でもなんといわれてもね、私は絶対最後まで借金を返すから」――今年6月、体調を崩して入院生活を余儀なくされた晴恵さんは、最近までそう語っていたという。
※女性セブン2010年11月11日号