インフルエンザ、三種混合ワクチン(MMR)、BCG―かつて義務であった日本のワクチン接種は「努力義務」に変わり、日本はあっという間に“ウイルス大国”へと転落した。その背景には、少数の事故例を必要以上に大袈裟に報じるマスコミの過剰反応がある。元フジテレビキャスターで国際医療福祉大学大学院教授の黒岩祐治氏はこう書く。
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意外かもしれないが、日本は専門家の間ではずいぶん前から「ワクチン後進国」と呼ばれている。娘をアメリカに留学させようとした友人が語ってくれた。
「アメリカでは予防接種は絶対にやっておかなければならないことなんですね。書類に予防接種をいつ受けたか書かなければいけないから急いで受けさせました」
日本で「努力規定」とされている定期接種ワクチンは、ジフテリア、百日ぜき、破傷風、BCG、ポリオ、はしか、風疹、日本脳炎の8種類。これに対して米国では、それら以外に肺炎球菌、インフルエンザ、おたふくかぜなども含まれ16種類。WHOがすべての地域で推奨するワクチンであっても、日本では定期接種になっていないものがたくさんある。
つまり、日本人は“疾病をまき散らす、はた迷惑な国民”と見られても仕方がないということだ。
そもそもどうしてこんな事態になったのか。国の施策の一貫性のなさこそ最大の問題ではあるが、マスコミはワクチン後進国になった責任を一方的に国に押し付けるわけにはいかない。当事者でもあった自らの歴史的事実を総括しなければ、この問題を克服することはできないからだ。
私たちが子供の頃は学校でインフルエンザワクチンの集団接種があった。腕を出して自分の番を待つ、あのドキドキ感は今も記憶の中に鮮明に残っている。62年に始まったものだが、今は行なわれていない。
1970年代後半からインフルエンザワクチンによる副反応事故が相次ぎ、各地で予防接種禍訴訟が起こされた。1980年代後半にはその判決がマスコミでも大きく取り上げられた。
「恐るべきワクチン禍」
「予防接種で脳症?」
刺激的な見出しが躍り、ワクチンの危険性が強調された。ワクチンの副反応事故は、元気だった子供がワクチンを打ったことによって突然に重篤な状態になったり、死亡したりする。衝撃は大きい。
そんな中、1987年には、厚生省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」が予防接種の有効性に疑問を投げかける報告書をまとめた。ワクチンを接種した地区と、しなかった地区を比較したが、患者発生率に差がなかったというのである。副反応の危険があるのに、効果のないワクチンを打つとはどういうことか?
「だれのためのワクチン注射か」
「疑問符ついた学童『集団接種』」
マスコミではワクチンに否定的な論調が続いた。
その結果、国はこれまでの集団接種を同意方式に変えた。さらに94年には打ちたい人だけ打てばいいという任意接種にして、集団接種は消えた。これにより、国の政策は大転換した。それは同時にワクチン後進国へのスタートともなった。
そもそも任意接種とはなんだろうか? 集団接種の場合(国が努力規定とした定期接種も同じだが)病気が蔓延することを社会全体で防ごうという社会的防衛であり、任意接種はあくまで個人を守るものだという。本質的に予防接種とはなにか? その理念の混乱はここから始まった。
※週刊ポスト2010年11月19日号