北方謙三氏
今年9月、最新作『抱影』を書き下ろした作家・北方謙三氏。『三国志』『水滸伝』に続く『楊令伝』の完結など近年の歴史小説家としての活躍に対して、同作はデビュー作『弔鐘はるかなり』以来の“北方ハードボイルド”の系譜に連なる物語だ。北方氏は何を考えて小説を書き続けているのか、ノンフィクション作家の稲泉連氏が聞いた――。
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「僕はね、いつもたった一人の読者に向けて小説を書いているんです」
たとえ本が何百万部売れようとも、それは変わらない。自分はそんなふうにずっと小説を書き続けてきた、と北方謙三は語った。
「その読者はもうひとりの自分かもしれない、と思うこともある。そいつの心の孤独に、自分の孤独から出た言葉を投げかける。その孤独と孤独が感応したときに、何か物語というものを超えた、心の震えのようなものが生まれるはずだと信じながらね」
もちろん小説を書く具体的な作業の一つひとつは、彼にとってそのような「抽象的な行為」ではあり得ない。原稿の締切が差し迫る中で言葉を選び、捨て、削る。一語一語と論理を積み重ねては、文体を引き締める。一言で表せることは一言で、二行で言い表せることは二行で、と文章を研ぎ澄ましていく日々は、彼に言わせれば「あまりに通俗的なもの」でもあるという。
「つまり論理を超えようと必死になりながら、小説を書くことの通俗性に耐えていくんです。すると、言葉にはできないたった一つの美しい何か─愛でも憎しみでもいい、たった一つの澄み渡った情念が最後に残る。それを本の向こうにいる一人に投げるんです」
撮影■太田真三
※週刊ポスト2010年12月10日号