テレビのいじめ自殺報道はワンパターンで、被害者の親と学校という単純な対立構図で描き、まるですべての責任が学校側にあるかのように非難する。なぜこんな単純な構図の報道ばかりが流されるのか。
ある地方テレビ局の制作部長は、記者の取材に、「今たずねられるまで、いじめ自殺の取材はこんなものだと思っていた」と率直に答えた。その上で、ワンパターンの報道がなくならない理由を自戒を込めるようにこう語った。
「限られた時間のなかで放送に間に合わせなければならない。すると、被害者遺族の言い分を聞き、加害者の代弁者的な学校の弁明を聞き、教育委員会の話を聞けば、それでよいと思ってしまう。おそらくほかの局も同じでしょうね」
キー局ワイドショーのディレクターも、「学校から『子供に対する直接取材は自粛してください』と規制されるので、取材できるのは、学校、教育委員会、遺族の親に限られてしまう」と口を揃える。取材できるところだけ手っ取り早く取材すると、怒りと悲しみに暮れる遺族と、それを受け止める学校・教育委員会という構図になり、必然的に、学校が加害者の代弁者として悪者の役を演じることになる。
元テレビ局報道記者でメディアジャーナリストの渡辺真由子氏はこういう。
「いじめが起こるのは学校だけの責任ではありませんが、学校が責められることが多いのは、報道する立場からすれば、叩きやすい存在だからです。たとえば、いじめの加害者である子供などに直接取材すると、あとで親や弁護士からクレームが来るなど面倒なことになるので、結果、報道を自粛することになる。私も加害少年を取材して上司にボツにされたことが2回ぐらいあります」
※週刊ポスト2010年12月17日号