ジェリー藤尾(70)といえば1970年代、妻とふたりの娘を伴ってテレビの歌番組やCMにたびたび登場。その姿は当時の日本の“幸せな家族”そのものだった。が、後に離婚、娘を男手ひとつで育てあげた。そんな彼が老人ホームで“おひとりさま”生活を送るようになった経緯とは。
高校2年生のときに学校を中退して、芸能界へと足を踏み入れたジェリー。1961年に歌手デビューすると、翌1962年に発売した『遠くへ行きたい』が大ヒットして一躍スターの仲間入りを果たす。
そして、東京オリンピックで日本中が沸き立つ1964年、当時20才のアイドル歌手だった渡辺トモコ(現・渡辺友子、66)と大恋愛の末に結婚。渡辺は結婚と同時に芸能界を引退し、夫を支えた。
おしどり夫婦の代名詞ともいわれ、田園調布の一等地に豪邸を構え、ふたりの娘も誕生。さらには、自動車、カレー、冷蔵庫などのCMに、家族で一緒に出演し、誰もがうらやむ幸せな家庭を築いていた。
しかし、そんな家庭が突然崩壊したのは、結婚から21年後、1985年末のことだった。かつてジェリーはこのときの心境をこう語っている。
<クリスマスイブの日に女房は出ていったんです(中略)私は許せなかった。娘たちが友人たちを大勢招待しているイブに、わざわざ出ていくことが許せなかった(中略)あれだけ自慢だった家庭が音をたてて、あっけなく崩れていきました>
そして7か月後、1986年7月に正式離婚。その理由は「夫と妻の収入が逆転した」「夫のDV、酒びたり」「妻の両親と夫の不仲」などさまざまに報じられた。まさに“泥沼の離婚劇”だった。
そして、このとき最大の問題とされたのが、どちらがふたりの娘を引き取るかということだった。離婚原因はジェリー側にあるとする報道があふれる中、しかし娘たちは父を選んだ。世間のバッシングが身にこたえていただけに、娘たちの選択にジェリーは思わず涙をこぼしたという。
後に長女は週刊誌誌上で、離婚理由は母の男性関係だったことを明かし、「あの人はクズ」とまでいって、母を痛烈に批判している。
ジェリーは元妻・渡辺に対して、こんな思いを口にする。
「名前を聞いただけで嫌になる。本当に嫌な別れ方したからね。だからぼくは名前も呼びたくない。それぐらい嫌なことされたからね…。いいたいこともあるけど、それをいうとまたメディアが喜んじゃうから(苦笑)。とにかくぼくは許してはいませんよ」
※女性セブン2010年12月23日号