江戸時代の将軍は、基本的に夜の相手となる大奥女中を自分の好みで選べた。
ただ、閨房での男女の営みは、尋常ならざる監視システムのもとで行なわれていた。
将軍が大奥で泊まるときは事前に「御伽坊主」(大奥で唯一中奥へ出入りできた剃髪姿の男)に伝え、床入りのお伴も指名する。夜、上御鈴廊下(かみおすずろうか)を渡った将軍は大奥に入り、寝所へ向かう。
将軍が女中をチョイスする機会はいくつかある。まずは、将軍の身辺の世話をする「御中臈」が常時8人近くいた。大奥の宴席や催し物の際に、パフォーマンスを披露する御次も眼にとまりやすい。他には“御庭御目見得”といって、島田振袖で着飾った女中に大奥の庭を歩かせ、将軍にアピールするという方法もあった。そこには世話親たる上級女中の意図が露骨に見え隠れしている。大奥に詳しい歴史家の安藤優一郎氏はいう。
「家光は尼僧を還俗させ側室にとりたて、湯殿で背中を流した下級女中に手を付けたりしています。でも時代が下がるにつれ、こういう奔放なアプローチは激減していきます」
大奥では、将軍と懇ろになった女中を“汚れた方”、手が付いていなければ“清い方”と呼んだ。女中の嫉妬を隠さぬ露骨な習慣だった。
将軍に選ばれた御中臈は、御年寄から髪を解かれたうえ、入念なボディチェックを受け将軍のもとへ侍る。
「しかし将軍と女中は、閨房で2人きりになれません。御伽坊主と“御添寝役”と呼ばれる別の御中臈も床をのべます。衝立をたて、将軍サイドに御添寝役、御中臈側には御伽坊主がおり、情事に聞き耳をたて、翌朝には御年寄に逐一報告します」
しかも、寝所の隣室では障子一枚を隔て御年寄と清い方の御中臈が寝ている。将軍の情事は異様なほど“情報開示”を求められていたのだ。ただし、御台所だけは御伽坊主と御中臈の入室を拒むことができた。
※週刊ポスト2010年12月24日号