「国家機密の争奪戦」が激しさを増している中でメディアの役割が問われている。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏がテレビに出ない理由を説明する。
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ジャーナリズムは社会の木鐸であるとか、国民の知る権利を保障する機関であるという議論から出発すると、事柄の本質が見えなくなる。マスメディアはほぼ全て株式会社だ。株式会社の目的は、「金儲け」である。資本主義社会における「金儲け」という制約条件を無視して論じるメディア論は現実に影響を与えない。
だからメディアスクラムと呼ばれる報道が過熱した状況になると、違法行為を行なうメディアはいくらでも出てくる。
私自身の体験について記す。2002年の鈴木宗男疑惑の時に筆者もメディアスクラムの対象になった。
自宅の前にはいつも記者が張っている。ゴミを集積所に出すとすぐに持ち去る人がいる。メディアに雇われている人で、ゴミの中から何か役に立つ書類が出てこないか探しているのだ。筆者が捨てたゴミの所有権は、行政に移っているので、ゴミを持ち去ることも厳密に言えば窃盗だ。
喫茶店や薬局に入ってもその様子を隠し取りするテレビ記者がいる。そうしなければ競争に遅れてしまうという焦りからこういう行動を取るのだ。
さらにメディアスクラムが過熱すると、自宅の郵便箱から手紙が抜き出され、開封した上で再び戻されているようになった。これは刑事犯罪だが、異常な興奮状態になるとメディア関係者は一線を越えることに関する抑制が利かなくなるというのが私の経験則だ。特にテレビメディアにその傾向が強い。
それだから、私は原則としてテレビ出演は断わることにしている。このようなテレビの取材文化が嫌いだからだ。
※SAPIO2011年1月26日号