日本の報道ではウィキリークスは「暴露系サイト」として扱われているが、世界の報道は全く異なる。そこに日本の既存メディアの限界がある、とジャーナリストの上杉隆氏は指摘する。
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日本のテレビや新聞は、ウィキリークス(WL)という固有名詞を使わず、「暴露系サイト」という不自然な普通名詞を使うことが多い。その背景には、これまで記者クラブに安住してきたメディアが、新たな勢力の台頭に恐れ慄いている様子が窺える。
これまでも「ツイッター」を「簡易ブログ」、「ユーチューブ」を「動画投稿サイト」と呼び、いまだに「2ちゃんねる」を「巨大掲示板」という普通名称で報じるのも同じ感覚である。つまり、見たくない現実を矮小化しようとしているにすぎないのだ。
それは、自分たちの媒体に持ち込まれた内部情報を「スクープ」と言い、WLなど他のメディアに持ち込まれた情報を「暴露」と言う姿勢に現われている。
ツイッターのようなニューメディアも所詮ツールでしかない。情報とツールは別である。だから世界中の新聞・テレビがこれらの新しいメディアと融合してきたのだ。
ところが、記者クラブ制度にあぐらをかき、大本営発表に甘んじてきた日本の大手マスコミだけが、そうしたソーシャルメディアを排除して小さなパイを守ろうと必死になっている。
WLが保有するアメリカの外交公電の中には日本絡みの機密情報も存在する。しかもそれは世界で3番目に多い分量であるにもかかわらず、日本のメディアは無視を続けている。いかがわしいサイトというレッテルを貼ったため、いまさらその重要な事実を報じるわけにいかなくなったのだ。
※SAPIO2011年1月26日号