菅政権内部には与謝野馨氏の入閣を巡って、大きな亀裂が生じている。
菅首相の意を受け、たちあがれ日本との連立交渉を進めたのは岡田克也・幹事長だが、昨年12月22日の岡田氏と平沼赳夫・代表の会談が物別れになった段階で、「影の首相」と呼ばれていた仙谷由人氏は、“与謝野入閣なし”と見ていた。
「連立が成功すれば政権基盤の強化につながる。しかし、破談になった以上、与謝野氏1人を大臣にしてもメリットはない。仙谷さんは自民党の大島理森・副総裁から、“与謝野氏を入閣させたら自民党との政策協議どころか、かえって国会の火種になる”という感触を得ていた」(官邸筋)
しかし、諦めきれない菅首相は、年が明けると与謝野氏の説得工作を仙谷氏ではなく、北沢俊美・防衛相に任せた。交渉の成功で、北沢氏はいまや「側近ナンバーワン」といわれている。
仙谷氏は面白くない。その頃から、仙谷氏に近い官邸スタッフから、「与謝野入閣情報」がしきりにリークされることになる。重要人事の情報を事前に漏らすのは、それを潰すために他ならない。
そして、仙谷氏が官房長官を更迭されたのを機に、運命共同体だった菅首相との間で確執が表面化した。
その間隙を縫ってポストを得ようと動いたのが渡部恒三・民主党最高顧問だった。国対委員長候補に名前があがっていた渡部氏は、「谷垣も大島も二階もみんな私が国対委員長時代の部下だ」と自民党幹部とのパイプを強調したが、ポストを逃すや与謝野氏を、「自民党が野党になったら自民党を出て新党を立ち上げ、今度は民主党政権の閣僚になるなんて卑しい」とこきおろした。
与謝野入閣は、大臣の椅子にありつきたい民主党議員たちの醜態を次々と浮かび上がらせ、はなから内閣の体を失わせた。
※週刊ポスト2011年2月4日号