萩本欽一とコンビを組み、コント55号で人気を呼んだコメディアンで俳優の坂上二郎さんが10日、脳梗塞の再発により亡くなった。76才だった。
あの頃、チャンネルをひねれば出てきた“タレ目とちっこい目”――コント55号がテレビ界を席巻していた。小川ローザが、桑原幸子が…“ちっこい目”坂上さんとの野球拳で1枚ずつ脱いでゆくさまに、息をのんだものだった。そして1969年7月6日、『コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!』が文字通り、裏番組NHKの『天と地と』の視聴率を抜いた。当時の状況を坂上二郎さん本人が語っている。(週刊ポスト1990年4月6日号より)
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『コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!』(日本テレビ系)は、1969年4月の放送開始以来、視聴率は天井知らずのウナギ上り。7月、ついに、上杉謙信と武田信玄を描いたNHK大河ドラマ『天と地と』を、ジャンケンポンの裸ギャグ番組が抜く。ちなみに7月6日の視聴率は、野球拳27.6%、大河ドラマ29.3%、コント55号は、文字通り鉄壁に見えた表番組を裏番組へとブッ飛ばしたのである。
道化師役で主演するミュージカルのスチール撮りに忙しい坂上二郎をスタジオに訪ねた。
「コント55号の二郎さん」の面影は見いだせない。ひとりでやってきてもう20年がたっているのだ。
「タイミングもあってたのかもしれないな。テレビの普及は昭和39年の東京オリンピックあたりからでしょ。デビューが41年、売れてきたのが43年。ボクらはテレビが爆発する勢いに、押し出された。おまけに、時代も全学連とかなんとかでもめてた頃。世の中が落ち着くのか、もっと揺れ動くのか見当もつかない。そんな中途半端な時代に、“過激”が受けちゃったんじゃないかな」
坂上二郎は自分にいいきかせるようにこう語った。
ときあたかも、いざなぎ景気真っ最中。世の中は、貪欲にショー化されていった。
全共闘は安田砦で派手に負け、散っていく。『オー! モーレツ!』のCMが大受けして、お色気路線にヨーイドンがかかる。何食わぬ顔で、アポロは月面着陸するし、原船『むつ』は進水した。
そんな世相を追い風にして、コント55号は、キリキリ舞いのお笑いを連発した。
たとえば“飛びます、飛びます”…欽ちゃんの要求に二郎さんは次々にこたえていった。
「当時、どんなことでもやらされましたもん。台本なしのアドリブだらけで、これでもかこれでもか、ってやる。呆れかえって舞台で笑い転げたこともある」(坂上)