1月6日、外国人献金問題で辞任した前原誠司前外相(48)。“ポスト・菅”の筆頭といわれていた前原氏は幼少時代から、さまざまな“苦労”に直面してきた。
1962年、京都市内の別の場所で生まれた前原氏。両親と3才年上の姉の4人で幸せな家庭だった。その前原氏が最初の「進路」選択を迫られたのが、中学受験のとき。前原氏は奈良の難関私立、東大寺学園と姉も通っていた国立京都教育大附属中の両方に合格していた。
「前原さんは東大寺学園に行きたがっていましたが、母親が猛反対したそうです。前原さんは泣きながら“お願いだから東大寺に行かせてください”と懇願したそうですが、結局は国立に通うことに。前原家には私立に行かせるほど家計に余裕がなかったようで前原さんは泣く泣く私立行きを諦めたんです」(前原家知人)
そして、生涯で最大の試練ともいえる事件が起きる。中2のときに、京都家庭裁判所の職員だった父親が自殺したのだ。 「もちろん前原さんもショックだったと思います。でももっと大きなショックを受けている母親を前に、彼は“お母さんは休んでいて”といって母親に代わって、父親の関係先に挨拶に回ったんです」(前出・知人)
父の死でもともと苦しかった家計はさらに厳しい状況になった。前原氏はそれまで習っていたピアノをやめ、少しでも家計を助けるためにアルバイトを始めた。それでも勉強を怠ることはなく、一浪はしたものの京都大学法学部に合格。
「大学時代はアルバイト三昧の日々でしたよ。バスの添乗員から魚の卸売市場、喫茶店のウエーターとか…。特に頑張っていたのは塾の講師で、生徒たちのために深夜遅くまで仕事することもざらで、ほとんど寝ないで働いてました」(大学時代の同級生)
※女性セブン2011年3月24日号