大震災発生から2日後の3月13日深夜、都内を拠点に活動する女性社長・A子さんは、支社と実家がある仙台へとマイクロバスを走らせた。積んだ物資は、赤ちゃんや女性用のものが中心だ。粉ミルクやオムツ、ナプキン、女性用長靴、靴下など。
高速道路は使えないため、一般道を走り続けた。高速で行けば5時間ほどの道のりを10時間かけて到着。しかし、ようやく物資を被災者に手渡せると思ったA子さんを待っていたのは、行政による“たらい回し”の現実だった。A子さんはこう証言する。
「仙台市役所に行くと、“個人からの物資は受け付けていない”といわれ、対策本部に回されました。そこでも“ここじゃない”といわれて、救援物資の受付センターへ。そこでも違うといわれ、また別の場所へ回されました」
やっとたどり着いたのは体育館のような施設。すでに物資が届いており、30人ほどの人が仕分けをしていた。しかし、緊張感は全くなく、救援物資のパンをかじり、チョコレートをポリポリ食べながらの作業だったという。
「私たちが子供のオムツやピンクの長靴、靴下などを持っていくと、“そんな要望ないんだよな”といわれてしまいました。電気ポットも救援物資として持ってきたんですが、作業をしているひとりのかたから“この前、人にあげちゃったから欲しいな”とせがまれ、あげてしまいました。とりあえず、そこに救援物資は預けましたが、その日はあまりに悔しくて眠れませんでした」(A子さん)
救援物資として届いた和菓子を、腐ってしまうからと、避難所に届けずに、食べてしまう人もいたという。
※女性セブン2011年4月14日号