原発事故による放射能漏れの陰でさまざまな差別問題が起きている。
福島県では、県民の差別を防ぐため、スクリーニングを受けた者に「スクリーニング済証」を発行する措置を取った。ところが、今度は証明書を持たない住民への差別が助長されるという問題を誘発している。
福島市では、南相馬市から避難していた女子児童が皮膚炎の治療を受けようとして病院から拒否されたと報じられた。理由は「スクリーニングを受けた証明書がない」ということだったというが、これが医療に携わる者の仕打ちかと思うと悲しくなる。
仮に、その女子児童に懸念すべき放射能汚染の疑いがあるというなら、診療拒否どころか、すぐにでも必要な治療や除染を施すべきだし、それほどの危険があると思わないならば、求められた診療をすればよいはずだ。
公営住宅への被災者受け入れを表明している岡山県では、福島から来た入居希望者を「罹災証明書を持っていない」という理由で門前払いする由々しき事態も起きた。
被災者同士でも、差別が広がりつつある。
「福島からの避難者を“避難所が一杯だから”と門前払いしている。リーダー格の人が、“あの人たちはダメだ”と拒否しているからだ。どこの避難所もそんな感じで、福島の人たちは残ったお金で飛行機に乗り、遠方に逃げているようだ」(近県の避難所関係者)
地震に襲われ、津波から逃れ、さらに原発事故で放射能汚染の危機にさらされた被災者に対し、科学的根拠のない偏見によってこのような態度で臨む人たちが全国にいるというのは、放置できない問題だ。
こうした実態を見てなお、「原発地域の人は奇形児と白血病が多く、みんながんで死ぬ」などとデマを振り撒く者たちが、「人権活動家」のような顔をすることは許せない。いたずらに「放射能だ、放射能だ」と煽るマスコミや、これを政治運動に結び付けようとする左傾学者も同罪だろう。
※週刊ポスト2011年4月15日号