原発は、都会に住む人にとっては、「危険かもしれないが遠い存在」であり、地方民にとっては“生きる糧”だった。避難指示が出されている富岡町の町議会議長・猪狩利衛さんはいう。「まさかこういうことになるとは、夢にも思わなかった」。これは地元住民に共通する思いだろう。
ほとんどの住民は原発を“安全”だと信じ込まされ、いつしか自ら「安全を信じたい」という気持ちに安住するようになる。原発と社会の関係を調査してきた、東京大学大学院の開沼博さんはそう分析する。それを象徴するのが、福島原発の地元特有の風景だ。
「各駅のショーケースのなかには、地酒や伝統工芸品などとともに『原子力モナカ』が並んでいる。また、道路を行くと、『回転寿しアトム』『アトム観光』などの看板が立っています。電力会社がつくったPR館で働くのは、ほとんどが地元で採用されたスタッフで、来客の多くも近隣の小中学校の遠足や、親子連れなどです」(開沼さん)
原発をいったん誘致した町や村では、もはや原発なしでは財政が成立しない状態になる。原発の老朽化とともに交付金が減り始める時期になると、今度は、原子炉の増設、再処理施設・廃棄物保管施設の誘致に動いた。逆にいえば、交付金の仕組みは、そう仕向けるように巧妙につくられていたともいえる。
※女性セブン2011年4月21日号