余震の不安が続くと、復興計画にも大きな影響が出てくる。首都圏での震度3程度の揺れでも「もういい加減にしてくれ」と叫びたくもなる。いったいいつごろまで余震に耐え続けなければならないのか。
京都大学准教授の遠田晋次氏が警告する。
「余震は時間が経過すれば、数の減少とともに規模も小さくなっていくと誤解している人があまりに多いようです」
今回の本震後にM7以上の余震は計5回だが、まだまだ油断は禁物だ。一般的に本震後10日目に余震は約10分の1に減り、100日目には約100分の1になるといわれている。
しかし、東京大学名誉教授の笠原順三氏は今後起こりうる「最大余震」を懸念している。
「スマトラ沖地震ではM9.1の本震の3か月後にM8.6の地震が起きました。今までの統計に基づいた警報はもはや意味がありません」
懸念材料はもう一つある。「本震の震源付近で余震活動があまり起きていないんです。本震で完全にプレートが滑りきってしまうと、ひずみが解消されて余震が起きないとも考えられる。しかし、プレートの境目というのは、プレート同士が固着していて非常に摩擦が強い場所が斑状に分布しています。この固着域がまだ多く残っていると、一気に滑って地震が発生するため、本震震源周辺でM8クラスの余震が起こる可能性もある」(笠原氏)
最大余震は本震からM1を引いた規模になるといわれる。M8は大袈裟な数字ではない。その際は当然、大津波発生という悪夢の再現もあり得る。
とにかく“余震との闘い”は先の見えない持久戦だ。
「1933年に起きた三陸地震でも、5年後に福島でマグニチュード8に近い地震がありました。1943年にはM7クラスの鳥取地震が起き、翌年に東南海地震、その1か月後に三河地震、さらに翌年に南海地震がありました。これらが本震に対する余震といえるかどうかはわかりませんが、連鎖的に起きた可能性はあります」(笠原氏)
スマトラ沖地震の際も5年近く余震が続き、M7クラスも起きた。最悪の場合、5年間余震と付き合う覚悟をしなければならない。
※週刊ポスト2011年4月29日号