かつて日立製作所で原子力発電の設計をしていた大前研一氏が、日本の原発設計の盲点を指摘する。
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福島第一原子力発電所の事故で東京電力の対応が後手後手に回った原因の1つは、同原発の原子炉を設計したのが日本企業ではなく、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)だったことである。
1号機と2号機はGEが設計・製造から据え付け・組み立て・試運転指導・保証責任まですべてを請け負い、キーを回しさえすれば設備が稼働する状態で引き渡した「フルターンキー」、3号機と4号機は東芝と日立製作所がそれぞれGEの設計に基づいて“国産化”した(GEからライセンス供与を受け、若干の修正を加えて製造した)、いずれも「マークⅠ」と呼ばれるBWR(沸騰水型原子炉)だ。
福島第一原発に限らず、当初の日本の原子炉は、フランスやイギリス、カナダ、ロシアのように独自の炉を開発するのではなく、アメリカのGEとWH(ウエスチングハウス)が開発した原子炉をそっくりそのまま導入するか、設計図をもらって見よう見まねで造ったものなのである。
とくに東電は、GEを崇め奉っていた。私が日立製作所の原子炉エンジニアだった当時、新しい分野だった高速増殖炉で独自に考えた設計図を持っていくと、それには見向きもせずに、GEのお墨がない原子炉など要らない、と門前払いを食らった。
日立が技術提携しているGEの設計のままでなければ、東電は一顧だにしなかったのだ。私がわずか2年で日立を辞めた理由の1つがそこにある。せっかく日本独自の原子炉を造るために必死で勉強したのに、結局、GEの技術指導を強いられたのでは、原子炉を設計している意味がないからだ。
要するに東電(そして当時の動力炉・核燃料開発事業団)は、自分たちで創意工夫する原子炉の建設を放棄していたのである。
東電のオペレーターは、ひたすらGEのマニュアルを勉強して覚えるだけ。自分の頭で考えることがない。だが、アメリカと日本は事情が違う。日本ではGEの設計者が経験したことのない大地震、想定していない大津波が起きる。ここに「フルターンキー」と「名ばかり国産化」の大きな盲点があった。
※SAPIO2011年5月4・11日号