ほぼ全域が福島第一原発20km圏内の避難地区に含まれる福島県双葉郡楢葉町。4月22日の警戒区域指定を経てもなお、住民約7900人のうち、ここに6世帯8人が残った(4月22日現在)。放射能被曝の恐怖を知りながら、避難を拒み続ける彼らの、本当の心中とは?
楢葉町南部、原発付近へと続く国道6号線近くに50代の長男ととどまるのはCさん(70代女性)。玄関脇の茶の間にあるコタツでテレビを見て和む毎日だ。娘夫婦と孫、次男は震災後すみやかに避難した。Cさんは母子で楢葉町にとどまる理由をこう語る。
「この子はてんかんの持病があって、発作が起きると対処が難しいから避難所では暮らせない。おれ(自分のこと)も糖尿で手が震えるし、目もあまり見えね。そんな人間ふたりが体育館みたいなところ行っても死ぬだけだ。個室にしてもらっても同じ。とにかく、いまは避難したくない」
Cさんは女性ながら建設現場でバリバリ働いて家計を支えてきた。もともと農家で細々と米作りも続け、今年も一株500円の苗20束の苗付けを控えていた。水道水が止まったいまは井戸水を使い、自分で収穫した玄米を食べる。プロパンガスがある間は煮炊きも入浴もできるという。
持病を持つ長男と暮らし、自身も悪化する糖尿病を抱えるBさんだが、決して生きる意欲を失ってはいない。
「洗濯物は外に干すな、できるだけ家の中にいろっていわれているからそうしてる。
立ち入り禁止後はどうなるかわかんね。でも、一時金をもらう手続きのため20km圏外に行く気持ちはある。ここにはいられるだけいるつもりだ」(Cさん)
※女性セブン2011年5月12日・19日号