東京都の教育委員会は2003年、国歌斉唱を義務づける通達を出している。以来、都教委と、入学式・卒業式の国歌斉唱で起立しない「不起立教員」は、飽くなき戦いを繰り広げてきた。文部科学省によると、この10年間で国旗・国歌に関する職務命令違反で懲戒処分を受けた全国の教職員693人のうち、実に431人が東京都という突出ぶりだ。
彼ら不起立教員の理論的支柱であり、「不起立界のジャンヌ・ダルク」との異名を持つ人物が、N教諭である。彼らの活動をウォッチするフリーライター山田祐氏が解説する。
「彼女はふだんから学校で『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』(日の丸・君が代反対)と書かれたトレーナーを着用するなどして、度重なる君が代不起立で都教委から減給や停職といった処分を受けていました。私が見学に行った2008年の卒業式では、今回も不起立ならついに免職処分か、といわれていました。
当日は、小中学部合わせて25名の卒業生しかいない養護学校に、数十人もの支援者が詰めかけ、『君が代不起立』『日の丸・君が代強制反対』といった物々しい横断幕やゼッケンが掲げられていました。一般生徒や保護者は戸惑った様子でしたが、彼女は拍手と歓声で支援者に迎えられ、式では不起立を貫いたのです」
そして処分が決まる当日、N教諭は学校の窓から叫んだ。
「みんな聞いてー!(都教委は私を)クビにさせることはできなかった!」
門の前の支援者らは涙を流し、「勝ったぞー!」と歓喜の雄叫びを上げたのだった。結局、彼女はその後も免職されることなく、停職中も「停職出勤」と称し学校に通っては校門前で「君が代不起立」のプラカードを掲げる日々を送り、今年定年退職を迎えた。
退職にあたり、彼女は不起立教員の会報に「闘争」の歴史を綴っている。そこでは、かつて免職を恐れ、国歌斉唱の途中まで起立することにしてしまったときの経験をこう振り返った。
〈「国歌斉唱」と司会が発声するや、心臓はバクバク。生徒たちのかなりが私を凝視しています。やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で銃剣を持たされ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。
私は、「お前は突くのか」と問われているよう。「ここまで起つ」と伝えていた歌詞まで来て着席し、「突かなくてよかった。首にされたとしても、もう、金輪際こんなことはやめよう」と思いました〉
※週刊ポスト2011年6月17日号