毛沢東批判の老教授が中国で批判にさらされている。しかしそこにあるのは単純な体制支持ではない。ジャーナリストの富坂聡氏が解説する。
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一人の著名な学者が発表した毛沢東批判の論文がいま中国で波紋を呼んでいる。
問題の論文を世に問うたのは、中国の著名な経済学者で82歳の茅于軾教授だ。今年4月26日、自身のブログで毛批判を展開したのだが、その騒ぎは、発表から間もなく2カ月を迎えようとする現在でも沈静化の兆しが見られないほど大きな盛り上がりだ。
茅教授が求めたのは、かつて「3000万人を死に追いやった毛の政策の誤りへの再評価」。つまり、毛が仕掛けた文化大革命という大衆運動で、中国が政治的混乱に陥った問題だ。この時代、出身階級や言動が問題視された者は自己批判を迫られ、酷い場合には吊るしあげられ、殴り殺された。敵は一定の割合で一つの組織に必ずいるとの掛け声から、無理やり罪をでっちあげたり、日ごろの嫉妬を利用するなど冤罪が横行し、人々は深刻な相互不信に陥った。
中国ではいまだ公式にこの政策の誤りに評価を加えようとの動きはないが、文革を肯定する言論は中国国内でも聞かれない。それだけに日本の読者は、いまさら「論争」と言われてもピンとこないかもしれない。
だが、論争の本当の争点は、そこではない。実は、論争の裏にあるのは人々の毛沢東時代への懐古であり、現状を消極的に否定することだというのだ。実際、ネット上には「論争」と呼ぶにはあまりに一方的な罵詈雑言――「じゃあ、おまえは反植民地の時代に毛沢東がいなくても良かったというのか?」、「もう中国人をやめろ!」など――が茅教授に浴びせかけられている。
そのなかでもまともな反論は、「あの時代はいまより貧しかったが、みな等しく貧しく、生活のプレッシャーはなかった」、「現在は物質的に豊かになったかもしれない。でも人の心は貧しくなった」、「あの時代は汚職官僚もいなかった」など、ほとんど現状への不満を表現するための過去の行程なのだ。
中国では2年ほど前から江西省や重慶市で「紅歌」(革命歌)が流行し、地方行政のトップも政治的求心力にこれを利用してきた。こうした現象と今回の論争は同種の感情だ。
茅教授を攻撃した者がみな、大量の餓死者を出した時代を「いまよりもまし」と本気で考えているわけではないだろうが、現状に不満があることだけは間違いなさそうだ。