松井秀喜、イチローなどメジャーリーグで成功した日本人選手はいるものの、残念ながらメジャーに挑戦しながら、志半ばに帰国した男もいる。そんな彼らの姿をノンフィクションライターの柳川悠二氏が追った。
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元西武ライオンズのセットアッパーで、2006年にタンパベイ・デビルレイズへポスティング移籍した森慎二。彼は現在、松井秀喜を育んだ金沢を本拠地とするBCリーグ「石川ミリオンスターズ」の監督を務めている。
「独立リーグの監督という立場ですが、現役の道を諦めたわけではないんです」
西武5年目の2001年オフからポスティングによる移籍を球団に訴え続け、5年をかけてようやく実現した彼のメジャー挑戦――それはわずか3球で終わった。
初の実戦初登板となったスプリングキャンプのオープン戦でのことだ。日本時代、左足を高く上げる独特のフォームから投げ込む、剛速球と鋭く落ちるフォークボールを武器に打者を牛耳っていた森は、メジャーリーガー相手でも真っ向勝負を挑んでいく。
最初の打者の3球目。腕をしならせ、白球をリリースした瞬間に腕が打者方向に飛んでいくような嫌な感覚が襲った。
「すぐに痛みでうずくまって、腕の異変に気付いた。腕をしならせすぎたために上腕骨が脱臼し、腕が脇の下から出ているような状態だったんです。上腕骨と肋骨がゴリゴリぶつかっているのが分かりました。腕が人の形をしていないんだから、『ああ、終わったな』って思いました」
ドクターから「この脱臼から復帰した例はこれまで3例しかない」と聞かされても、森はメジャーの舞台を諦めきれず、わずかな可能性に賭けようとした。
「いつか治ると信じてリハビリに励みました。キャッチボールの球数制限を課されていたんですが、ばれないようにひとりで球場の壁にボールを投げたこともありました」
ケガから1年半後、現役に未練を残したまま帰国する。1年の浪人生活の末、石川ミリオンスターズの選手兼コーチとして誘われ、2010年に監督専任となった。
※週刊ポスト2011年7月8日号