「週刊ポスト」「女性セブン」「SAPIO」主催の第18回 小学館ノンフィクション大賞受賞作が発表された。18回目を迎えた今年は、応募総数318編。その中から事務局で大賞候補作を4作品に絞った上で7月22日に最終選考会に臨み、2作品が大賞同時受賞という喜ばしい結果を得た。
そのうちの1作品『柔の恩人――「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』小倉孝保(新聞社勤務・47歳)を紹介する。
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米ニューヨーク・ブルックリンに生まれ、女子柔道の国際化のために闘った功績から「女子柔道の母」と呼ばれたユダヤ人女性、ラスティ・カノコギの生涯を描いた作品である。
深刻な人種差別の中、いじめや貧困にあえぐ家庭で育ったラスティは、10代で女子非行グループのリーダーになり、けんかを繰り返すようになる。しかしある日、柔道と出会い、この格闘技に開眼する。
当時、米国東海岸で女性柔道家は極めて珍しく、ラスティは更衣室もないところで着替え、男性相手に乱取りをして、めきめき実力をつけていった。しかし、YMCAの州柔道大会で、男子選手を投げ飛ばしチームを団体優勝に導くも、「女性」を理由に金メダルを剥奪される。
1962年に単身来日。講道館に乗り込んで武者修行し、そこで出会った鹿子木量平と米国に帰国後、結婚した。その後は、柔道の女子大会開催に取り組み、孤軍奮闘の末に第1回の女子柔道世界選手権大会を成功させた。
さらに、国際オリンピック委員会(IOC)が女子柔道を五輪正式種目にすることを拒否した時には、世界中で署名運動を展開した。そして訴訟も辞さないとIOCを脅し、五輪のスポンサーであるテレビ局にも圧力をかけた。
ラスティの献身的な働きかけの結果、女子柔道は1988年のソウルで公開競技、1992年のバルセロナで正式種目となる。その後の山口香、田村(現・谷)亮子らの“YAWARA”世代、それに続く日本女子の隆盛は、ラスティの闘いなしにはありえなかった。
2008年にはその功績から旭日小綬章を受章。しかし2009年暮れ、長らく患った骨髄腫のため、74年の生涯を閉じた――。ラスティ自身へのロングインタビューや未公開手記をもとに柔道のために身を捧げた一人のユダヤ人女性の波瀾に満ちた生涯を綴る。
※週刊ポスト2011年9月2日号