8月9日にスキルス性胃がんのため事実婚の夫、アパレルメーカー『リンク・セオリー・ジャパン』社長・佐々木力さん(享年60)を亡くした萬田久子(53)。
「子供たちがしっかり支えてくださった。ものすごく絆が深まった。悲しみを分かち合えたので救われました」
8月14日、東京・青山葬儀所で営まれた佐々木さんの通夜後の会見で、萬田は夫の看病を通じて、前妻の子供たちとも、これまで以上に心を通じ合えたと明かした。しかし、自らお腹を痛めて産んだ長男(23)との間には、大きな溝が生まれたままとなっているのだ。
1986年『OL三人旅』(フジテレビ系)で人気女優の仲間入りを果たした萬田。そんなころ知り合ったのが佐々木さんだが、当時、彼は前妻とまだ結婚していたため、不倫の関係だった。そんな中、28才の萬田は妊娠。
このときは萬田の母親をはじめとする親族、友人ら、佐々木さん以外のすべての人々から猛反対を受け、一度は中絶も考えたという。だが、女優の仕事を全部キャンセルし、引退まで決意して、ニューヨークに渡り、翌1987年10月に長男を産んだのだった。未婚のままで佐々木さんと親子3人での生活をスタートさせた。
<健康で優しい男でいてくれたらいい。望むことはそれだけですね>
萬田は数年前、息子への思いをこう語っていたことがあった。しかし、母が思うよりもっと早いスピードで、彼は彼なりの道を決めていくことになる。長男は大学に進学して1年半が経ったころ、自立したいと萬田と佐々木さんと暮らしていた自宅を出て、ひとり暮らしを始める。
芸能関係者は語る。
「それからほどなくして、息子さんは、Bさんと交際をスタートさせました。萬田さんにもBさんを紹介したんですが、彼女が彼より8才も年上なのを心配して“もっと同世代の子とつきあいなさい”と、ものすごく反対したんです」
ちなみにBさんは、もともとは火曜サスペンス劇場『神の怒色』(日本テレビ系)などで子役として活躍。その後、CDを発売した経験もある元アイドル。当時、憧れの人を聞かれ、
「萬田久子さんです。メイク前のすっぴんでも変わらずキレイで、初めて見たときなんか、涙目で鳥肌たっちゃいました。いろんな芸能人に会っても、あのかたほどオーラを感じた人はいまのところいないかな」
奇しくも萬田の名前を挙げて、こう答えていたのだった。
Bさんとの交際を反対されたことで、長男は母・萬田との間に次第に距離を置くようになっていく。昨年、大学を卒業した彼は、ゴルフスクールのインストラクターをしながらプロゴルファーを目指し始めた。夢に向かって走り出したそんなとき、Bさんの妊娠が発覚する。これについてゴルフ関係者はこう振り返る。
「長男はBさんと一緒に、萬田さんに妊娠の事実を告げ、“結婚する”と報告に行ったんですが、まったく相手にしてもらえなかった。しかし、息子にしてみれば、よその母親じゃない、萬田久子なら自分の気持ちをわかってくれると思ったのではないでしょうか。
けれども萬田さんは厳しい言葉を浴びせたみたいですよ。周囲に反対されての結婚がいかに大変か、身をもって経験しているからでしょう。息子を愛するがゆえに心配する母心ですよ。ただ、それが彼には伝わらず、それ以来、口もきかない関係になってしまったそうです…」
※女性セブン2011年9月8日号