【書評】『最強国の条件』(エイミー・チュア著/徳川家広訳/講談社/2940円)
【評者】山内昌之(東大教授)
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現在の国際関係を考える上でも有益な書物である。強国のなかにも「最強国」とそうでない強国があるという筆者の議論は正しいだろう。漢やローマは最強国であったが、アステカ帝国は最強国でなかった。この差異はどこから来るのであろうか。
筆者は、最強国の条件として三つを挙げている。その第一は、国力全般において同時代の既知のライヴァルを上回っていることだ。第二は、軍事力と経済力で同時代の地球のどの国家よりも勝っていることである。第三は、地球的な規模で影響力を発揮する強国だということであろう。
こうした条件を考えると、意外なことに、ルイ14世のフランスや冷戦時代のアメリカは最強国でないことになる。また、いちばん大事な条件は寛容さだという指摘は間違っていない。それは、いまのアメリカやアケメネス朝ペルシア、さらにモンゴル帝国や大英帝国を意識すれば正しいからである。
オスマン帝国もこのカテゴリーに入るに違いない。人種構成の多様さを逆手にとるしたたかさをもたないと最強国になれないのは、いまのアメリカに限ったことではない。たとえば紀元前500年のペルシアの首都ペルセポリスでは、ギリシャ人の医師、エラム人の書記、リュディア人の木工職人、イオニア人の石工に加えてサルディア人の鍛冶師も住んでいたというのだ。まるでいまのニューヨークのようではないか。
日本が最強国でなかった理由は何か。それはあまりにも人種的な偏見が強く、「ヤマト民族」のエリート性と優秀性を強調しすぎたからだという指摘は示唆に富んでいる。征服と支配を正当化するために、自分たちの純粋さを強調するようでは、「最強国」にはなれないのだ。優秀な人材の忠誠心を奮い起こし、かれらに全力を発揮させることができるのは寛容さだけだというのは歴史的な教訓に充ちた言葉であろう。
※週刊ポスト2011年9月30日号