竹島にほど近い鬱陵島視察に訪ねた日本の国会議員3人が「入国拒否」された直後の8月上旬に韓国に乗り込み、鬱陵島・竹島取材を敢行した報道写真家の山本皓一氏が、鬱陵島「独島博物館」の噴飯モノの展示物の数々をレポートする。
その前に、「竹島」といっても実は「3つの竹島」が存在することを覚えておきたい。整理すると以下の通りになる。
・現在の日本名・竹島(かつての日本名・松島、現在の韓国名・独島)
・かつての日本名・竹島(または磯竹島、現在の鬱陵島)
・現在の韓国名・竹島(竹嶼)
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鬱陵島に到着して最初に目に入ったのは、日本語の横断幕だった。
「日本政治家! 来たら謝罪と反省の意味で来い、あなた達にバナナを提供する」(「バナナ」の部分はイラスト)
今回訪問しようとした3人の自民党議員をサル扱いして揶揄しようと意図したらしい。しかし表現が稚拙すぎて意味が通じない。
同じように江戸時代の経世家・林子平が1785年に作った『三国接壌之図(三国通覧輿地路程全図)』を引用した横断幕もあったが、林子平は「ヒャヤシシヘイ」、『三国接壌之図』が「三国接陽だまりも」と意味不明の書名になっている。さらに、この地図には日本海に「竹嶋」と記された島があり、「朝鮮ノ持也」とあるため、「独島は韓国領」とする根拠にしたいらしいが、当時の「竹嶋」は現在の鬱陵島であって「独島」ではない。その北東にあるもう一つの島も、「竹嶼」と見て間違いない。
勘違いや知識不足はまだいい。問題は、韓国側が事実を歪曲・捏造してプロパガンダしている点だ。
鬱陵島には韓国唯一の領土博物館「独島博物館」がある。この博物館には驚くべき展示物がある。その一つは、入り口を入ったところにある「于山島=独島」をアピールするレリーフだ。レリーフには朝鮮最古の地図「八道之図(八道総図)」を元に、それぞれの島の位置関係が示されている。「左(西)に鬱陵島、右(東)に于山島」で、その間の距離は87.4kmとあるが、本物の「八道之図」にはレリーフとは逆に「左に于山島、右に鬱陵島」と記されているのだ。「于山島=独島」とするための意図的な資料改竄だ。
実際、博物館の外にある石碑には正確な「八道之図」が刻まれている。つまり博物館の内と外とで矛盾する地図を堂々と展示しているのである。ちなみにこの石碑は対馬まで韓国領だと主張している。開いた口がふさがらない。
かつて私は拙著『日本人が行けない『日本領土』』の中でこの矛盾を指摘した。その後、2007年5月5日付の産経新聞によれば、同紙の取材に博物館側は誤ったレリーフを「近く撤去する」と答えていたが、それから4年経った今も、レリーフは以前のままだ。
そのほか、独島博物館の中には噴飯ものの展示がいくつも見られる。中でも民俗衣装を着た朝鮮人が丁髷姿の日本人を竹島から追い払っているジオラマには呆れる。江戸時代に日本人と朝鮮人の間で島をめぐる争奪戦があったのは事実だが、場所は竹島ではなく鬱陵島だ。それが、あたかも竹島での史実であるかのように再現されているのだ。
独島博物館のパンフレットには、「独島が大韓民国の固有の領土であることを証明する韓国と日本またロシアの資料が展示されている」とあるが、日本側資料が圧倒的に多い。韓国は「日本側に不当に支配されていた独島をいかに奪い返したか」を主張したいようだが、裏を返せば、日本が早くから竹島を認知・支配していたことの証拠資料とも言えるのだ。
※SAPIO2011年10月5日号