東京・墨田区で生まれた葛飾北斎は、19歳から70年間、休むことなく描き続けた。創作以外に関心が向くことはなく、自分の家を持ったのは49歳の時の一度だけだった。
生涯長屋暮らしを通し、93回引っ越したという。食事は出前で済ますことが多く、家の中には土瓶と茶碗があるだけで食器の類はほとんどなかった。身なりにも無頓着で木綿の着物を何日も着続けるほどだった。頭の中にあるのは絵を描くことだけ。浮世絵師となって功成り名を遂げても、改名を約30回繰り返しながら新境地に挑んでいった。
没後、その作品が海外で高く評価された。『北斎漫画』は欧州のジャポニズムのきっかけとなり、ドガやマネ、ゴーギャン、ゴッホら、多くの印象派画家に影響を与えたといわれる。
「英国BBC放送が『世界の10大画家』を発表して、東洋では北斎だけがその中に入りました。もはや古典、古美術になっても不思議ではないのに、欧米では今でもテレビCMやポスターに使われています。没後160年経っても現役というのが北斎の北斎たるゆえんです」(北斎研究家・永田生慈氏)
欧米の教科書には、レオナルド・ダ・ビンチの『モナリザ』と北斎の『神奈川沖浪裏』、あるいは俗に「赤富士」と呼ばれる『凱風快晴』が必ず載っているという。
「先進国での北斎の知名度は日本人が考えている以上に高いです。かつて日本が開国した時、日本への理解を得るために浮世絵の果たした役割は大きかった。そこでは雪舟や尾形光琳、俵屋宗達ではなく、圧倒的に葛飾北斎だったのです」(同前)
ゴッホは弟テオにあてた手紙の中で北斎についてこう書いている。
「日本美術を研究すると聡明で博学な哲学者を発見することになる」――天才は天才を知るという。時空を超え、ゴッホは北斎を正確に理解していたということだ。
※週刊ポスト2011年10月7日号