9月13日、野田政権が本格的に船出した直後のこと。「平成23年9月14日」付の官報(第5640号)に、こんな「人事異動」が発表された。
〈Mxxx
法務大臣秘書官に任命する〉
この人事を見て、ごく一部の政界関係者は目を疑った。平岡秀夫法相の秘書官となったこのM秘書官(48歳)の過去を知っていたからだ。
2006年、有明海を望む長崎県島原市。市内の児童養護施設「太陽寮」をめぐる補助金の不正受給事件で、当時42歳のM氏は逮捕・起訴され、翌2006年に有罪判決を受けていたのである。
事件は、太陽寮の施設長だったM氏が、知人の元高校教諭を「家庭支援専門相談員」として勤務しているように装い、県に虚偽の申請をして、2004年度分の補助金(正確には児童保護措置費加算金)約582万円を受け取ったというもの。元高校教諭は起訴猶予となったが、M氏は詐欺罪で起訴され、2006年2月9日の長崎地裁判決で懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
当時の複数の新聞報道によれば、裁判官は判決の中で、「児童養護施設に対する社会の信頼が低下した」「書類上の体裁を整え、元教諭らと口裏合わせをして発覚を防ごうとしており、悪質」と指摘。
一方で、被告だったM氏が公判の中で「福祉関係者に?迷惑をかけた。家族に対しても申し訳なかった」と反省の弁を述べたことなどが、執行猶予の理由となった。
公金を詐取した人物が、「法の番人」とも言われる法相の秘書官になっていた。しかも、その法相はM氏の過去について何も知らずに秘書官として登用していたのである。
それにしても、なぜ平岡法相はM氏の過去を知らなかったのか。実は、M氏は数年前に、名字を変えていた。さる政界関係者がこう証言する。
「彼は2年ほど前まで、ある自民党参議院議員の事務所で公設秘書を1年くらい務めていた。当時の名前は『Kxxx』だった。その事務所を辞めてから、いつの間にか奥さんの姓である『M』を名乗りだした」
確かに、「平成21年2月版」「平成21年10月版」の国会議員要覧の秘書欄には、「K」という名前が掲載されている。名字を変えたのはその後だ。
「事件後、何人かの議員の選挙を手伝ったりしていたと聞くが、どんな経緯で永田町に来たのか、民主党の平岡法相のもとに移った理由など、詳細は本人が語ろうとしないからわからない。
永田町で親しい人も多くはないから、名前を変えていたことも知られていなかった」(前出の政界関係者)
そのために、平岡法相は気付かなかったのだろう。多くの大臣は長年、一緒に働いてきた信頼できる政策秘書などを秘書官に登用するのだが、今回、平岡法相はそうはしなかった。その意味でも、“異例の人事”だった。
※SAPIO2011年10月26日号