175センチ、105キロ。西武の「おかわりくん」こと中村剛也は、生まれた時からビッグな子だったという。今年48本のホームランを打ったホームランキングの生い立ちを振り返る。ルポライターの高川武将氏がリポートする。
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猛暑の夏だった。1983年8月15日、大阪府大東市。最高気温38.5度の昼日中に、中村は産声を上げた。4295gのビッグな赤ちゃんは、ベビーベッドからはみ出しそうで「もう、お宮参りですか」と尋ねられた。
幼稚園で足のサイズが21センチ、靴は下駄箱の上に置いた。3個パックのプリンは一度で平らげ、食前食後には食パンをほお張る。祖父、祖母、姉、弟もいた中村家では、やがて一日一升の米を消費した。
少年野球チームの監督だった父重一についていき、5歳から野球を始める。動きは意外に俊敏で、ボールを捉える打撃センスがあり、やがて4番捕手が定位置となる。「ホームランバッターになれ」と口癖のように言った父は、一度も体型を変えさせようとはしなかった。
「野球の華はホームランでしょう。最近は空中戦がないからつまらない。皆が喜ぶのは遠くへ飛ばすこと。それには絶対に体重が必要です。やせたらアカンと」
大きくフォロースルーをとること、球をバットに乗せて運ぶこと……父子の目標はホームランを打つことにあった。一つの「事件」が起きたのは、小学3年のときだ。健康診断で肥満と診断され、母と共に学校から呼び出される。どんなものを食べているのか、生活態度はどうか……そんなことを聞かれた。3回目の呼び出しのとき、母は先生に啖呵を切るのだ。
「うちにはうちの育て方があります。運動もしてるし、健康上も問題ないです。剛也は赤ちゃんのときから大きかったから、今更どうもできません。もう、呼び出さないでください」
もちろん、学校の指導の目的が、成人病の予防であることはわかっていた。
「でも、差別じゃないですかって。細い子にもっと太れとは言わないでしょう。周りから、アイツは太ってるから保健室に呼び出されてると見られるのは……。私も変に頑固だから」
母久美は笑いながら振り返るが、子供の心理を考えれば、切実な問題だったろう。太っているのも一つの個性である。そう肯定した両親の下で、中村はすくすくと育っていく。
※週刊ポスト2011年11月11日号