福島第一原発事故は多くの福島県民を不安に陥れた。妊婦や小さい子供を持つ親にとってはなおのことだろう。
いまのところ、福島で生活を続けた場合、どれだけ被曝するか明確な数字はわかっておらず、専門家の間でも、福島での出産・育児の安全性については意見が分かれている。福島県の妊婦たちは、避難するか、とどまるかを自らで判断するしかないのが現状だ。福島の妊婦たちは、実際どう動いたのだろうか。
日本産科婦人科学会のアンケート調査によれば、震災後3か月間で福島県内の出産件数は前年比マイナス25%、約1000件減少した。つまり、妊婦のうち4人に1人が、県外での出産を選択したとも考えられるのだ。
逆にいえば、そんな状況の中でも、妊婦たちの4人に3人は福島にとどまっている。とはいえ決して放射能汚染を楽観視しているわけではない。
いわき市にある村岡産婦人科医院。原発事故以降、月70件ほどあった分娩が月40~50件に減った。それでもなお地元での出産を希望する妊婦のほうが多いが、院長・村岡栄一さん(62)のもとには、「赤ちゃんに影響が出ないでしょうか」という悩み相談が殺到している。
いくら報道で安全といわれても、その不安は拭いきれないのだ。
「産科婦人科学会や放射線学会は『問題なし』という声明を発表しています。妊婦さんにはそれを伝えますが、理解はしても、本当は心配な気持ちでいっぱいでしょう。当医院でもガイガーカウンターを購入して、周辺の線量を調べ、『問題ない数値だから、大丈夫だよ』と伝えています」(村岡さん)
だが、現場の医師が安心だと伝えても、福島での出産・子育てを危険視する声は聞こえてくる。そのたびに、心を暗くする人もいる。
「福島にいるだけで悪いことをしてるのかなって思えてしまう」
とつぶやくのは、福島第一原発から南へ約50km離れたいわき市内の産院で出産した堀越美沙子さん(28)だ。まもなく生後3か月になるひとり息子を抱きしめている。
この息子がお腹にいるころ、3月11日の地震が起こった。当時、妊娠4か月。夫や、同じいわき市内に住む両親、兄夫婦とともに、北西へ40km離れた郡山市の多目的ホールに避難した。
避難所では、寒さやプライベートがない状態に気疲れした。所持金も底をつきそうになったところ、地元・いわき市の放射線量が下がってきていることを知り、4月に自宅に戻った。だが当時は、放射能に脅え、外出さえできない毎日だったという。
「母乳からもセシウムが出たっていう報道を見てすごくショックを受けました。テレビでは『大丈夫』っていってたのに…。あれ以来、“大丈夫”“安心”といわれていることでも信用できなくなりました」(堀越さん)
唯一、頼りにしたのが妊婦仲間の口コミで伝わる、被曝を避けるための情報。お腹の赤ちゃんのことを考え、ご飯もみそ汁も料理はすべてミネラルウオーターで作った。家のなかに放射性物質がはいらないように、洗濯物を狭いアパート内に干す。外の空気を入れるのを避けるため、換気扇を回さずに料理をすると、部屋ににおいが充満して大変だったという。
「私も夫も地元育ち。県外に頼れる親戚はいません。避難所でのつらい経験もあったので、できる限り放射能を避けて、福島で産むしかないのかと…」(堀越さん)
9月に無事出産。放射能への恐怖は当時より薄れているが、それでも外出は控えている。
※女性セブン2011年12月15日号