昨年4月、家族5人が長男・岩瀬高之被告(31)により刺され、父と姪2人が死亡した「豊川一家5人殺傷事件」。惨劇の引き金となったのは家族が前日にインターネットの接続契約を長男に無断で解約したことだった。
14年間引きこもりだった長男は親名義のクレジットカードを使い、ネットショッピングで浪費。借金は350万以上に膨れ上がっていたという。同事件は1年半を経て、11月24日に初公判を迎えた。被告はどのような半生を辿り凶行に至ったのか、ノンフィクションライターの小川善照氏リポートする。
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高之は1980年、3人兄弟の長男として愛知県東部の小坂井町(現・豊川市)に生まれた。最寄り駅はJR東海道線西小坂井駅。豊橋から一駅の場所にある。放火で半焼した家は取り壊され、現在は更地だ。
父の一美はガスの集金業務、母の正子は食品会社にパート勤務していた。夫婦仲は円満とはいえなかった。近隣住民が証言する。
「あの家はもともと一美さんの母親が建てたもんでね。ご主人と離婚してマッサージ師として働きながら女手ひとつで2人の男の子を育てた。だから一美さんと母親との関係は緊密で、嫁として入った正子さんが、“もっとまともな料理をつくりなさい”なんて叱責されることもあった」
嫁姑問題から転じて夫婦が衝突することも珍しくはなかった。そのストレスも一因だったのだろうか。酒が入ると些細なことで、一美は妻や子供たちにあたった。
「夕食時なんかに子供たちの“ギャー”っていう叫び声が聞こえてきたこともある。ここだけの話だよ。実は、『あの親父さん、将来、子供たちが大きくなったら、殺されるんじゃないか』なんて近所では囁かれてたんだ」(同)
家族間に不協和音が軋み、周囲との近所付き合いもほとんどなかった。高之も幼少時から口数が少なかった。
小学校の同級生は「喋ったところを見たことがない」と口を揃える。唯一の楽しみは給食を食べることだったという。家では朝食が出されることはなく、夕食もカップ麺。それが普通の“食卓”だと思っていた。
人と上手く話せない、というのはからかいの対象になりがちだ。小学校時代、同級生からはしょっちゅう教科書を隠された。授業中、便意を催しても先生に訴えることができず、便をもらしたこともあった。同級生に「臭い」と嘲笑されながら先生の車で家に帰った。
高之はこうした悩みを誰にも語ることなく、やがて架空の世界に居場所を見つけるようになった。中学時代の同級生の話。
「勉強は下から数えたほうが早かったぐらいだけど、毎日学校にはきていましたね。当時流行していたテレビゲームなどに熱中していました。創部されたばかりのコンピュータ部に所属して、プログラミングなんかをやっていたな」
中学卒業後、高校には進学せず菓子製造工場に勤務した。ひたすら、パンを包装するという単純作業だったが、その働きは評価された。サボることなく淡々と仕事をこなしたからだ。
だが、2年目に入ると憂鬱が訪れた。幾人かの後輩が入ったが彼らに仕事を指導できなかったのだ。高之は、工場を辞めた。だがその時はまだ社会とのつながりを持とうとはしていた。仕事を探し、チラシ配りのバイトをはじめようとした。
「可哀想にねぇ。詐欺に近い出来高制のバイトだったんですよ。最初に30万円を支払わされ、その金はまったくの無駄になってしまった。本人は相当ショックを受けていましたね」(一家の親族)
こうして14年に及ぶ引きこもり生活がはじまった。
(文中敬称略)
※週刊ポスト2011年12月16日号