本誌で収監直前インタビュー(2010年12月24日号)を行なってから丸1年、仮釈放翌日の鈴木宗男・元衆議院議員を、ジャーナリストの上杉隆氏が直撃した。
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――大震災のとき、鈴木さんは獄中の身。限られた情報のなかで、震災をどう受け止めましたか。
鈴木:ラジオのニュースで、枝野官房長官が「想定外」という言葉を使うのを聞いて、これは絶対に使ってはいけないと。想定外の津波が来たからというのは無責任だし、逆にそのことで国民の不信感は増したと思う。官房長官がそんな表現を使うなんて切腹ものですよ。
ただ、一方でこれまで原子力政策を推進してきた自民党が批判することにも違和感を覚えました。メディアも含めた全体の問題のはずなのに、みんな誰かに責任をなすりつけ合っているように見えた。
私のいた喜連川刑務所(栃木県)は、直線距離で原発から100キロくらい。全国紙1紙とスポーツ紙1紙、あとは朝の『めざにゅ~』(フジ系)を昼に録画で見て、ラジオでNHKの7時のニュースがリアルタイムで聞けるだけ。限られた情報しか入らない状況で、内心どうなるのかとぎょっとしてました。
――原発は震災翌日にはメルトダウンしていた。しかし、政府はそれを認めず、メディアも大本営発表を垂れ流すだけで真実を伝えなかった。実は北海道の牛乳やタラからもセシウムが検出されているんですよ。
鈴木:本当? 夕べは出所して初めての食事で、タラ鍋を食べたんだ。北海道から送られたもので美味しかったですよ。
――震災を機に、メディアに対する国民の意識が劇的に変わりました。これは鈴木さんがいなかった1年間の大きな変化です。
鈴木:実は刑務所で私が購読していたのは読売新聞なんです。9年前、未決のときの東京拘置所で「読売がいいんじゃないかなあ」とさりげなくいわれました。発行部数も多く、権力からして一番与しやすい新聞だからでしょう。でもこの1年、限られた情報にしか接することができない中で、メディアの問題に改めて気づかされた。日本の一番ダメな部分は、活字と電波が一体になって談合していること。例えば、メディアスクラムで時の政権をつぶそうとすれば、できてしまう。そんなことを許していてはいけないんです。
――5年間公民権を停止されるが、今後の活動は?
鈴木:5年間は選挙に立候補できないこと、選挙期間中マイクが持てないことを除いて、政治活動についての規制はありません。私は生涯政治家ですから。野田政権のなかからも、人を介して相談しに来る人もいる。 社会復帰をしてから、北海道はもとより全国から温かい励ましを頂いています。新党大地は、今は代議士一人だけ(浅野貴博・衆院議員)ですが、大震災を機に被災地の復興のため、さらに全国で政治を必要としている弱い立場に置かれた人々のために、ウイングを広げ、全国規模での活動をしていきたい。「政治は弱い人のためにある」を実践していきますよ。
※週刊ポスト2011年12月23日号