福島県いわき市。震災から9か月、復興バブルは瞬時に去り、作業員宿舎のある温泉街、ソープランドから、賑わいの灯は消えた。いま、事故の後処理に従事する作業員たちは、どんな日常を送っているのか。作家の山藤章一郎氏が報告する。
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いわき市小名浜。港から5分行くと、細い路地が交叉する住宅街に出る。唐突に、黄赤のけばけばしい看板が現れる。「○○御殿」「○○クラブ」ほか、15軒ほどのソープランドが寄りかたまっている。
裏にまわると波板トタンでかこった建物がつづく。浜から路地をまわりこんできた冬風が顔に痛い。買い物の主婦、通学の子どもたちが行き来する辻々で黒のベンチコートを着た呼び込みのニイちゃん、ネエさんが立っている。
午後2時。もうやっているのか、女はいるのかと訊いてみる。角刈りのベンチコートが顎をあげた。「うちら早朝ソープっす。女の子もいっぱいそろってるっす。どうぞどうぞ、そこ」靴を脱ぐ。
ドア口から薄汚れた赤い絨毯がつづく先にベニヤのドアがあった。開けた部屋で、黒いレースのスリップの女が膝をついていた。トンボみたいな女だった。体が骨だらけで、目がぎろっとでかい。
トンボは洗面器で泡を立てながら、ぶっきらぼうに「24歳。地元。ヒルショク」といった。ついこの前まで昼間の職業をしていたという意味である。
〈原発作業員〉がいっぱい来ると聞いて割のいいこの仕事を始めた。たしかに4月から夏過ぎまで湯本に泊まっている男たちが押し寄せてきた。みんな、聞き馴染のない九州みたいな言葉を話した。
「ヘルスもキャバクラも女の子足りない状態だったんよ。だけどさ、東電が夜遊び禁止令出して急にヒマになったの。災害救援の人も避難の人も、来ないよ。女の子もどんどんやめて、あたしみたいにここにとどまってる女は少ないよ」
――女はいっぱいいるって、さっき、店長いってましたが。
「バカね。静かっしょ。あたしもそろそろ逃げだすべかな」
それからトンボはマットに泡をひろげた。後ろ向きの細い股のすきまから紫いろのタイルが覗いた。裸と水商売の復興バブルは瞬時に去った。今はいわき市内のホテル、旅館だけが連日満員、そして〈カップ酒〉が飛ぶように売れる。
※週刊ポスト2012年1月1・6日号