2010年3月初めから突然、学校を休まれていた愛子さま。
「(愛子さまと)同じ学年の別の組に乱暴なことをする児童たちがおり、宮さまを含め他の児童に乱暴をしていることが(不登校の)理由と判明いたしました」
3月5日、野村東宮大夫の定例会見で明らかになった愛子さまへの“いじめ問題”。このとき雅子さまの胸中に、母親としてわが子を守らなければならないという、切実な思いが幾度も去来したことは想像に難くない。
3月8日、“いじめ問題”が明るみとなってから初めて愛子さまが登校されたのだが、その傍らには、ぴたりと寄り添われる雅子さまの姿があった。これが“同伴登校”の始まりだった。
「当初、雅子さまの同伴登校は登下校に付き添われるだけでなく、折りたたみの椅子を持ち込んで、教室の後ろで授業を見守られたり、給食の時間には、貴賓室でおふたりで昼食をとられるなど、一日中、学校に滞在されていました」(学習院関係者)
雅子さまは、ご自身の体調よりも何より愛子さまを優先された。そして、同伴登校開始から1か月が過ぎたころ、雅子さまの表情が陰りを帯びるようになっていく。
「愛子さまのことを心配されて精神的におつらいのと、毎日、学校に付き添われるのはご自身も病気を抱えられる身で肉体的にもきつく、負担も大きかったのでしょう」(前出・学習院関係者)
そんななか、4月下旬に行われた定例会見で、野村一成東宮大夫がこんな発言を。
「雅子さまが愛子さまの付き添いをされていることで相当なお疲れがあろうかと思う」
それを裏付けるように、前年は出席された「みどりの愛護のつどい」を、雅子さまは欠席された。こうして日を重ねるごとに、雅子さまの頭の中は、愛子さまでいっぱいになられた。
「雅子さまは、東宮御所だけではなく、夏休みに滞在される那須や愛子さまのアイススケートの練習にも、仲良しのお友達を呼ばれるなど、“すべてが愛子さまのために”と腐心されました」(宮内庁関係者)
ご公務はもちろん、それまで治療の一環としてされていた私的外出すらもなくなった雅子さま。そんななか2010年11月には、久しぶりのご公務となる「児童福祉文化施設文化祭」出席が予定されていたが、結局、体調不良を理由に欠席され、周囲を落胆させた。
そんな雅子さまのお姿に、心を痛めたのが、2008年4月から愛子さまの養育専任の東宮女官を務めていた小山久子さんだった。
「愛子さまの登校に毎日のように同伴される雅子さまに、小山さんは状況を冷静に分析した上で、“付き添いをおやめになられては”と進言したといいます。しかし、雅子さまは耳を傾けられることはなく、小山さんは“自分がいる意味がない”と嘆いていたそうです」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2012年1月5・12日号