2010年3月、1年間の留年期間を終えて大学を卒業しようかという時期、就職もギリギリ間に合いそうで安堵していた僕のもとに大学から非情な伝達が届いた。それは、卒業にはあと1単位足りないという知らせ。これによりもう半年留年しなければならなくなった僕は、9月卒業という条件下で就職先を見つけることができず、卒業後やむなく新宿のとあるバーにおいて高学歴フリーターという道を歩むことになった。
さて、2011年ももうすぐ終わろうとしている。年が明ければフリーターとして2度目の正月を迎えることになるのだが、僕は既にびびっている。正月というものに。なぜかといえば、今年の正月の痛い思い出があるからだ。
正月の大きなイベントといえば、親戚との集まりである。今年の正月には母方の親戚の集まりがあった。これは、その約1年前に亡くなった祖父の1周忌の集まりでもあった。もちろん欠席は許されない。立派な会席料理を提供してくれる店に集まったのは、祖母、叔父と叔母、2人のいとこ、僕の両親と兄、そして僕。集まり自体はつつがなく進んでいったのだが、終わりが近づいてきた頃、叔父がとんでもないことを言い出した。
「今日はせっかくお祖父ちゃんの1周忌だし、孫たちにちょっと1人ずつ喋ってもらおうか。今何してるのか?とか、今後どう生きていきたいか?とか、お祖父ちゃんに報告しなさい」
なにクサいこと言ってんだよ。てか、そもそも、なに言ってんだよ! 嫌だよ! 今ここにいる孫たち4人はみんな高学歴である。ただ、1人だけちょっと毛色の違う奴がいる。僕だ。僕だけは、フリーターなのだ。胸を張って報告できるようなことは何もない。しかし、この地獄の時間はいとこのM君の起立をきっかけに始まってしまった。
【従兄と兄の立派なスピーチの後にフリーター「明るく頑張る」宣言】
現在26歳の僕より5つ年上のM君。「30歳を越えて、結婚も控えていて、ますます仕事を頑張らなきゃなと考えています。特に仕事では…」。うん、立派。次に喋ったのは、M君の年子の弟であるH君。「これまでずっと不動産投資の世界で働いてきたんですけど、これからは…」。これまた立派な仕事論を語る。
いとこ2人が喋った後、次に指名されたのは4つ年上の僕の兄。詳しくは書けないが、兄は国を動かすような仕事をしている超エリートであり、言うこともスケールがでかい。「…とまぁ、これが今の民主党政権の状況なんですけど、こういう状況の中で自分が何をできるかということに今悩んでます。やはり日本の未来を考えると…」。おいおい、勘弁してくれよ。日本についてまで語るのは反則だろ。兄のスピーチのあまりの立派さに狼狽していると、ついに僕の出番が来てしまった。
「えっと、えーとですね、まぁ、去年の9月にやっとこさ大学を卒業しまして…。あ、皆さんには本当にご心配おかけしました。今は、その、まぁ、フリーターでして…。胸張って喋れるようなことは何もないんですけど…。まぁ、辛いことも沢山あるんですが、やりたいことも一応あるので、それに向かって頑張っていきたいと思ってます。とにかく、辛くても明るさと元気さは忘れずに生きていきたいと思います」
なんだ? それ。みんなが今後の野望や目標を立派に語る中、僕だけがただの明るく生きます宣言。曖昧すぎる目標。自分で言ってて吐き気がした。その場がなんともいえない空気になってしまったのは言うまでもない。僕には滅法優しいお祖母ちゃんまでもが、「あれ?すべってない?」というような顔をしていた。
そんな痛い思い出があるので、今度の正月に今からびびっているのである。正月に風邪をひきたいと思っているのは人生で初めてだ。こんな僕がフリーターを脱出できる日は来るのだろうか?
文/宇佐美連三
イラスト/吉河未布