日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちもいまや平均年齢93才、母親譲りのご長寿だ。三女の千多代さん(93才)と四女の百合子さん(91才)が戦争時の食糧確保の大変さを語ってくれた。
1937年(昭和12年)7月7日、中国の蘆構橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が勃発した。戦争の暗雲は重くたちこめ、庶民にも経済統制の波が押し寄せ、生活必需品の配給制が本格化することになった。
百合子さん:「米穀通帳を持って配給を受けるんだが、米がね、ひとりにつき、1日1合もらえたらいいほう。そのうち、その米も手にはいらんようになって食いものがない。そりゃあ、困ったのなんの」
千多代さんと百合子さんが結婚したのは、戦時中のこと。ふたりとも、名古屋市内に嫁いだ。それぞれが嫁として、主婦として、一家の食料を確保するために奔走することになった。
千多代さん:「もう毎日のようにな、農家にさつまいもを買いに行くのが仕事。そいだけど、あのころはお金があっても、物が手にはいらん時代でにゃあ。知り合いか、誰かの紹介がないと売ってもらえんかった。そいだでどうにかツテを頼ってな、足を棒にして“おーい、いもぉ、いもぉ”ちゅうて探し回ったがね(笑い)」
百合子さん:「“いもを訪ねて三千里”だがね。私も終戦の1年前に結婚して、同じ苦労をした。ほんの少しの米にいもや葉っぱを刻んで炊いて、それが常食。毎日、いもばっかりでしょ。胸やけがして、おまけにプー、プーとおならが連発してな、ほんと嫌んなっちゃったがね(笑い)」
※女性セブン2012年1月5・12日号