昨年12月23日、闘病生活を続けてきたプロゴルファーの杉原輝雄氏が亡くなった。1997年に前立腺がんを宣告されて以来、手術を受けずに闘病生活を送ってきた杉原氏。その壮絶な闘病生活を、ジャーナリスト・鵜飼克郎氏がレポートする。(文中敬称略)
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がん患者と家族の付き合い方は難しい。その中で杉原は、「すべて自分で決める」という道を選んだ。
「オヤジはすべて自分で対処し判断してきました。お袋にも事後報告。だから家族は、オヤジががんになったことも新聞報道で知り、リンパ節への転移も友人からのメールで知ったくらいです」(長男の敏一)
どうして杉原は「自分で抱え込む」という選択をしたのか。杉原に師事した関西のプロゴルファーの一人はこう語る。
「“一度コースに出たらピンチやトラブルは誰も助けてくれへん。すべて自分一人で乗り越えなアカン試練なんや”というのが杉原さんの教え。特に杉原さんは独特の技術と反骨精神で、AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)に立ち向かっていった。
飛ばない分、アプローチとパターを磨き、47インチの長尺ドライバーやツーピースボールをいち早く取り入れた。シニア入りする頃に“ジャンボ(尾崎)が出てこなかったら今の僕はなかった”とようやく認めるようになったが、若い頃から自分の弱い面を周囲に見せたことがなかった」
そうした自負が背景にあったというのだ。敏一が続ける。
「オヤジは他人に心配されるのが大嫌いなんです。ゴルフはもちろん、私生活でも気を遣われたくないため、すべて自分一人で対処してきた。がんが転移するまでは病院での検査結果もオヤジが聞いており、家族の誰にもはっきりした数値を伝えていなかったほどです。特に僕の場合、子供ではなく弟子として扱われていたので……」
プロゴルファー・杉原輝雄の代名詞であり、現役時代から彼を支えてきた“負けん気”が、このような環境を作っていたのかもしれない。昨年1月の杉原の言葉。
「ゴルフも病気も闘争心が大事。僕は道具の進化を利用して非力をカバーしてきたが、それも若手に負けたくないという闘争心があったからこそ。僕はそう思ってがんと闘ってきた。だからがんに負けたと思った時点で僕は終わりなんや」
※週刊ポスト2012年1月27日号