約17年もの間オウム真理教の元幹部・平田信容疑者(46)をかくまい、ともに逃亡してきたとして逮捕された斎藤明美容疑者(49)。1993年3月にオウム真理教に入信し、出家。教団では治療省に属し、オウム付属病院で看護師として活動していた。
その斎藤容疑者が平田容疑者と出会ったのは1994年ごろ。教団が新たに修行場として設けた施設でのことだった。
「当時、平田さんは斎藤さんよりはるかに信者として地位が高い、いわば上司と部下のような関係でした」(元信者)
そして、その1年後、ふたりは逃亡生活を始めた。
「教団の考えで、男女ペアになって夫婦を装ったほうが逃走しやすいということで、お互いの顔を知っていたふたりが一緒に逃げることになったんです」(元信者)
ふたりは福島、宮城、青森、仙台と転々としたが、「都会のほうが紛れやすい」(平田容疑者)と最後に行き着いた先が大阪だった。大阪では3か所、計15年を過ごしたという。
その間、公証役場事務長・仮谷清志さん(享年69)の逮捕監禁致死容疑で特別手配され、顔が知られている平田容疑者は潜伏先のマンションから一歩も出なかった。代わって斎藤容疑者が仲居、喫茶店のウエートレス、事務員、マッサージ師などをしながら、ひとりで逃亡生活を支えていた。最後の潜伏先の東大阪市では「吉川祥子」の偽名で整骨院で働いていた。
出頭時に800万円の現金を持っていた斎藤容疑者だが、その暮らしは実に質素なものだった。整骨院の月給は約20万円。食事は毎日勤め先から支給される1000円でまかなっていたという。
ほぼ毎日のように通っていた弁当店の従業員は、彼女をこう振り返った。
「4~5年ほど前から土日以外の平日の昼はほぼ毎日、ひとりで自転車に乗ってきてました。だいたい、のり弁(290円)と、から揚げとコロッケ弁当(390円)。400円までの弁当をいつも2つ買うてましたな。割引券があるときはそれを利用してはりました。
必ず勤務先の整骨院の宛名で領収書を受け取っていましたよ。笑顔なんて見たことがないんですわ。話もせんし、目線も合わさへんから、変わった人やなという印象です。弁当だって“ありがとう”もいわず無言で受け取るんですよ」
斎藤容疑者たちが暮らしていたのは、整骨院の社員寮という家賃約7万円の8畳ほどのワンルームマンション。部屋には布団が1組と毛布が3枚敷かれていて、室内にはフライパンと鍋が1つずつとスプーンが3本、14インチのブラウン管テレビとパソコンが2台残されていたという。近所の住民は次のように話す。
「整骨院の患者さんたちには“家庭内暴力がひどくて、警察に相談して、こっちに避難してきている”と話していました」
※女性セブン2012年2月2日号