福島第1原発では、冷温停止状態から事故収束宣言に至り、事態は沈静化したかのように語られる。しかし現場では、今も多くの作業員が目に見えない放射能と闘っている。震災の直後から被災地を取材し続けている産経新聞東北総局の荒船清太氏が、リアルタイムで働く作業員たちの実像に迫る。
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原発から少し離れた、空間放射線量の比較的低い場所でも作業は続いている。低いとはいえ、単位は普段報道されるマイクロシーベルトではなく、1000倍の「ミリ」。膨大な量が出ると見込まれる汚染水の保存タンクの製造だ。
「冬になってだいぶ楽になった」。民宿でそう話すのは、夏から現場に入っているベテランの作業員(46歳)。汚染水関連の作業では、防護服に加えてさらに雨がっぱを羽織る。「破れたら作業中断で面倒だけど、夏は暑くて歩くのすら大変だったから」と笑う。
半年前。東京都にある会社で、原発での作業に従事する社員を募集したところ、手を挙げた者はゼロだった。「俺が行くしかないか……」。放射能への漠然とした恐怖より、責任感が上回った。
「原発に行くかもしれない」
妻にそう打ち明けると、「あんたが行かないって言ったら、どうなるの」と聞かれた。「会社をやめるしかない」と応じたら、妻は「じゃ、行くしかないじゃない」と言った。「あれで吹っ切れた」ベテランは今もそう感謝している。
作業員の拠点・Jヴィレッジから毎日出ている無料の東京往復のバスで、毎週末、自宅に帰る。日曜の午後4時からバスの出る7時までの3時間が、妻と中学2年の一人娘(14歳)との束の間の団欒だ。レストランでの少し贅沢な外食が、今は定番になった。
作業員の間ではおしゃべりとして知られるベテランだが、家に帰れば聞き役に徹する父親だ。「友達に、お父さんが原発で働いてるって言ったら『かっこいいね』って言われたよ」。娘の話に目を細める。
「家に帰るのが前より楽しくなった」と話すベテラン。「こんなに人のため世のためになれる仕事はない。鼻が高い。ずっと続けたい」。放射能におびえた半年前が随分昔に思えた。
※SAPIO2012年2月1・8日号