福島第1原発では、冷温停止状態から事故収束宣言に至り、事態は沈静化したかのように語られる。しかし現場では、今も多くの作業員が目に見えない放射能と闘っている。震災の直後から被災地を取材し続けている産経新聞東北総局の荒船清太氏が、リアルタイムで働く作業員たちの実像に迫る。
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作業員たちが暮らす民宿のテーブルで酒盛りが始まっていた。常備してある4リットルの甲類焼酎「鏡月」の水割りを、神奈川県から来た4人組が酌み交わす。
「おまえが一番動いている。でも、一番仕事が遅いんだ」。今日は説教モードのようだ。リーダー(30歳)が、入社して2年目の若手(29歳)を諭している。
「原発は、事故もない一番安全な現場だった。それが今は……」。リーダーは震災前にも原発での作業経験がある。
若手も最初は放射能に戸惑ったが、先輩を信じ、娯楽のない場所にテレビゲーム機を持ってやってきた。休日は趣味のバイクで県内を走るだけ。つい先日、津波で土台だけとなったかつての住宅街に足を向け、言葉を失って帰ってきた。そんな積極性も、先輩の前ではたじたじだ。
「俺だって、一人じゃなんもできない。みんながいるから仕事を自慢できるんだ」
説教は終盤。リーダーの言葉に周りはうなずき、若手が「ありがとうございます」。「じゃ、飲みに行くか!」行き着く先は、駅前のスナック街だ。
年の瀬も迫った週末。駅前のスナックは帰郷を目前にした原発作業員らでにぎわう。この日はどこに入っても満席。目当ての店は「ケンカをされる方はちょっと……」と断わられた。「作業員同士でケンカとか起きたりしてるらしくてさ」とリーダーはふて腐れた。
作業員もいいことばかりではない。「近頃は、手当がだいぶ減ってきた」とベテランが話す。
スナックで一杯だけ飲んでの帰り道、リーダーは、一緒に来ていた親請けの50代作業員に向かって叫んだ。
「イチキュー(日当1万9000円)でいいからさ、俺たちを雇ってくんねえか!」
リーダーの会社は孫請けのさらに下。元請け、子請け、孫請け下になればなるほど、手当も給料も減っていく。「構造はどこに行っても変わらねえんだよ」とリーダー。「一つ下に変わるだけで、日当で5000円くらい違うんじゃねえかな」。親請けの作業員は、そう言いながらも、雇い直しには言及しなかった。
※SAPIO2012年2月1・8日号