30年前に「がん治療薬」として日本中にその名を知られ、不認可の審議以後「有償治験薬」として患者に使用され続けている丸山ワクチン。開発者である故・丸山千里博士の長男であり、ソニー・ミュージック元社長の丸山茂雄(70)氏もまた、のべ39万人ものワクチン使用者のひとりだった――。
丸山氏は長らく音楽業界で活躍し、佐野元春、小室哲哉、THE MODS、鈴木雅之など錚々たるアーティストを発掘・プロデュース、「丸さん」の愛称で慕われる人物だ。
また、1993年にソニー・コンピュータエンタテインメントを立ち上げ、久多良木健氏とともに大ヒットゲーム機「プレイステーション」の誕生に尽力した。2002年にソニー・ミュージックの会長職から退いた後は、2003年に自らが立ち上げた音楽配信事業会社247Musicの会長として、新しいビジネスモデル構築を模索している。
そんな茂雄氏に食道がんが見つかったのは、2007年11月だった。消化器系の中でも転移しやすく治療が難しいタイプで、漫画家の赤塚不二夫や俳優の藤田まことがこのがんで命を落としている。最近では指揮者の小澤征爾や歌手の桑田佳祐が罹っている。
「ある日突然、食べ物はおろか水さえも喉を通らなくなった。さすがにこの時はびっくりして、自分でも『がんだな』と確信したんです」
検査を受けると、食道がんと告げられた。進行度はステージ4A、つまり末期がんである。右肩と、食道と胃のつなぎの2か所のリンパ節への転移があり、手術で対処できる状態ではなかった。医師とのやりとりの結果、余命は「4か月」と悟った。
当然、がんの標準治療である抗がん剤投与と放射線照射の方針が決まったが、開始までの“体力検査”に1か月を要した。
「これは僕の“下衆の勘ぐり”ですが、がんの専門医は患者ががんで死ぬのはいいけれど、がんの治療中に心臓発作で死なれるのは困るんでしょうね。治療が始まるまでいてもたってもいられず、検査期間中に丸山ワクチンを打ち始めました」
丸山ワクチンとは、茂雄氏の父で日本医科大学名誉教授の千里氏(故人)が開発したがんの治療薬である。1964年の投与開始以来、使用した患者はのべ39万人、現在も3万人の患者が最後の救いを求めて打ち続けている。
しかし、このワクチンは不遇をかこった。1976年に製造元のゼリア新薬から承認申請が出されたが、1981年に中央薬事審議会は「有効性を確認できない」と不認可に。この審議が客観性や公平性を欠いていたと批判が巻き起こり、国会での論議にまで発展するなど社会問題化した。使用継続を望む多くの患者の声に押されて、当時の厚生省は患者が全額自己負担する「有償治験薬」として使用を認めた。
茂雄氏はいう。
「僕は丸山ワクチンのおかげでがんが消えたとはいいませんが、多くの人が苦しんでいる抗がん剤や放射線の副作用もまったくなく、食欲も落ちなかった。何より、『丸山ワクチンをやっているから明日に希望が持てる』という精神的な効果も大きい。
標準治療だって絶対的なデータはないのだから、体を痛めつける抗がん剤や放射線の量を減らして、残りの“念のための治療”を丸山ワクチンで代用すれば、きっと症状が楽になる患者は多いはずです。ただ、その理解を得るには有償治験薬ではなく、医薬品として正式認可されなければ難しいでしょうね」
※週刊ポスト2012年2月10日号