姐御肌でカラッとした性格とのイメージがある高島礼子(47)だが、実は人知れず苦悩の日々を送っていた。パーキンソン病に侵された86才の父を、この8年間さまざまな思いのなかで介護してきたのだ。その苦しい胸の内を赤裸々に告白してくれた。
そもそもパーキンソン病とは、中脳の黒質でドーパミンが作れなくなるという原因不明の病気で、難病にも指定されている。にわファミリークリニック・丹羽潔院長がこう説明する。
「症状はいろいろありますが、手足が硬くなったり、震えたり、動きが非常に緩慢になります」
高島がこう語る。
「パーキンソン病の治療は投薬治療が基本なんですけど、薬の量は、両手のひらに山盛り一杯でした。要するに、幻影を見たら、幻影を止める薬、便秘になったら、お通じをよくする薬、眠れないなら睡眠薬と、日に日に薬が増えていったんです」
高島の懸命な介護も虚しく、父親の病状は一向に回復へは向かわなかった。そのため高島は救いの手を求めて、自分たちでパーキンソン病に強い病院を探しては、何度か転院を繰り返した。
「大きな病院から小さな病院に移るときは、結構嫌な思いをしましたね。“うちじゃ、面倒を見られないってことですか!?”っていわれてしまうんですよ。こっちも“えっ!?”ってなるんですけど、病院を移るときには、いままでのカルテを次の病院に送ってもらったりしなければならないから、気まずい思いをして告げなければならない。外国ではセカンドオピニオンなんて当たり前なのに、日本では、まだいい出しづらい環境なんです」(高島)
そんな嫌な思いをしたものの、高島の思いが実り、父親に合う投薬をしてくれる病院が見つかった。幻聴や幻覚などがなくなり、父親の症状は少しずつだが快方へと向かったという。
当時、高島は、父親が退院したら、夫・高知東生(47)と暮らす都内の自宅に父を呼び寄せ、一緒に暮らしながら介護しようと考えていた。そのため、2004年末に完成した豪邸に父の部屋を作り、エレベーターや手すりなどを取り付け、バリアフリーにした。
「病院は入院期間が決まっているので、退院後は自宅か施設で介護するしかないんです。でも、施設で介護するほどではないし…。そうなると家ということになりますから、それなら私たちの自宅でと考えました」(高島)
とはいえ、義父との同居に夫の高知は反対しなかったのだろうか。
「自宅で介護したい」と相談したら、「そうしたほうがいいじゃん」って、旦那は賛成してくれましたね。しかも、普段から車に乗せたりとか、ベッドに寝かせたりだとか、体力的に大変なところは積極的に助けてくれましたから。
※女性セブン2012年2月16日号