「魑魅魍魎」や「薔薇」などといった漢字を自分で書けないと少しだけ恥ずかしい気持ちを抱く方もいるかもしれないが、クイズ番組に登場し、日本語学者としての知識を披露している金田一秀穂・杏林大教授は、難読漢字に対して「別に恥ではない」と語る。以下、金田一氏の解説だ。
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私は「難読漢字は読めなくてもいい」と思っています。日本語学者である私のような立場の人間でも「読めない」ことは別に恥ではない。
ただもちろん、読める人はとってもすごい、ということは間違いありません。
難読漢字は、基本的には日常で目にしない漢字です。書けたとしても相手に通じず、普段のコミュニケーションの場では使いづらい。
漢字には同音語が多く、会話には不向きです。例えば「現地はコウテンです」と聞いて、「好天」か「荒天」か、音だけではわからないでしょう? わかりやすく「いい天気です」と伝えるほうが、ずっといい。
そもそも漢字は意味を伝えるものであり、読み方を伝えるものではありません。つまり、難読漢字を読めるだけでは実用性も、必要性もない。その意味まで理解して初めて役に立つのです。
例えばテントウムシは、「瓢虫」と書きます。姿はくびれた瓢箪型ではないのに、不思議ですよね。ただ読めるだけでは、そこまでで終わってしまいます。
しかし、実は「中国の瓢箪は円い」ということがわかれば納得する。中国文化への理解が深まりますし、世界を楽しむ窓口にもなり得るでしょう。物事をより深く感じ、楽しむことができる。キャバクラで披露したらモテるかもしれない(笑い)。
※週刊ポスト2012年2月17日号