【書評】『争うは本意ならねど』(木村元彦著/集英社インターナショナル/1575円・税込)
【評者】河合香織(ノンフィクション作家)
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ここにはスター選手を主人公とする一般のスポーツノンフィクションが纏っている華やかさはない。描かれる事件自体も、日本中の誰もが注目していたほどのものではないだろう。それなのに、不思議なほどに惹きつけられる本だ。
本書は2007年当時Jリーグ(J1)の川崎フロンターレでプレーしていた我那覇和樹(がなはかずき)に降りかかった「ドーピング冤罪事件」を描いたノンフィクションである。
我那覇はこの前年、J1で全体の3位、日本人の中では最多の18ゴールを挙げ、その活躍が当時の代表監督オシムに評価され、沖縄出身選手として初めて日本代表にも選ばれた。だが、未来はたった1本の注射で暗転してしまう。
2007年4月、体調を崩して食事も水も受け付けなかった我那覇は、練習後、チームドクターからビタミンB1入りの生理食塩水を点滴注射してもらった。何の問題もないはずだった。ところが、このことが「にんにく注射」だと誤報されたことをきっかけに、ドーピング禁止規定に抵触したとしてJリーグから6試合の出場停止を食らってしまう。冤罪だった。
義憤に駆られた全てのJリーグチームのドクターたちが、我那覇と医師の潔白を証明するために立ち上がり、処分の取り消しを求めた。我那覇自身も、「サッカーを裏切るようなことはしていない」と訴えた。
だが、Jリーグは処分を撤回しない。我那覇は国内の日本スポーツ仲裁機構に仲裁を委ねることを希望したが、Jリーグは応じず、そのため提訴に数千万円の費用がかかるスポーツ仲裁裁判所(CAS。本部スイス)に提訴せざるを得なくなる。
ある意味小さな綻びから始まった争いは、そこまで大ごとになっていった。我那覇はCAS裁判に勝てると確信していたわけではなく、下される裁定によっては現役引退を余儀なくされるとまで覚悟していた。
著者は独自の取材と資料の綿密な読み込みにより、冤罪が生まれた過程を明らかにしていく。また、“行政”と“司法”が実質的に分離していないなどJリーグが抱える様々な問題点も炙り出していく。
著者が心からこの事件を憂い、ひとり我那覇にとどまらず、スポーツ界全体の将来について真剣に考えていることが伝わってくる。
著者は書く。〈我那覇はJリーグと闘ったのではない。Jリーグを救ったのである。それも他の人々を巻き添えにしたくないがために敢えて黙して孤独を抱え込み、たったひとりで何千万円もの私財を投じて〉
2008年5月、CASは我那覇の潔白を認めて「処分無効」の裁定を下し、Jリーグに対して史上最高額の罰金2万ドルを支払うことを命じた。我那覇が負担を強いられた費用は3500万円にも上ったが、それでも信念を貫き通した。
本書の魅力を際立たせるもうひとつの主人公は、我那覇を支えた人たちだ。彼の無欲な姿勢は人を動かした。膨大な時間を費やして彼を支えたドクターたち、手弁当で沖縄から募金集めの支援にやってきてくれた仲間。
真実を明らかにしたい、規定の誤った運用によって他の選手が同じような被害を受けるようなことがあって欲しくないという思いでひとつになった人たち。正しいことをしたいと願う人を孤立させないその姿勢こそが、この事件に清々しい結末を呼び、爽やかな読後感を残す。
※SAPIO2012年2月22日号