女優・小山明子(77才)の夫で映画監督の大島渚(79才)は1996年2月、滞在中のロンドンで脳卒中になった。幸い意識は取り戻したが、右半身と言葉が不自由になった。
世界的な映画監督の妻として、何不自由なく暮らしてきた小山の生活は一変した。すべての仕事を断り、介護に専念した。
夫が映画を撮れなくなるという不安や初体験の介護生活に追いつめられ、いつしか死を考えるようになった。うつ病と診断され、4年間入退院を繰り返した。
それでも踏み止まって献身的な介護を続けた甲斐があり、夫は監督業に復帰。1999年には10年ぶりの映画『御法度』を完成させ、2000年には夫婦でカンヌ国際映画祭に招待された。
光明が見えた矢先の2001年6月、大島監督が肺炎で入院する。さらに十二指腸潰瘍を患い、生死の境をさ迷った。再びどん底を味わう日々のなかで出合ったのが、デーケンさんの著書『よく生き よく笑い よき死と出会う』(新潮社)だった。
デーケンさんとは上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン神父(79才)のこと。1959年にドイツから来日し、長く上智大学で教鞭を取った。デーケン神父の講義では、上智大学の800人収容の講堂がいつも満席になるという。
「この本は私のバイブル。デーケンさんの言葉に励まされ、私は生き方を変えました」(小山)
最も感銘を受けたのは、 「“手放す心”を持つ」ことの大切さだった。同書にこうある。
<過去の業績や肩書きに対する執着を手放し、新たなスタートラインに立ったつもりで、前向きに生きていくことを心がけましょう>
これが、簡単そうで難しい。
「私は大島が世界的な映画監督で、自分が女優であることをいつまでも手放せなくて苦しみました。病院に通うときも“誰かが見ているからきれいな格好しなくちゃ”という構えがあった。自分の殻にこもっていたんです」(小山)
そんな小山をデーケン神父の言葉が変えた。
「“手放す”とはいろんなことへの執着を捨てること。いつまでも過去にしがみついていてはダメとわかってから、私は大島と回転寿司を食べに行けるようになりました。『大島渚も落ちぶれて回転寿司か』『女優なのにかわいそう』と思われても構わない。誰のためでもなく、自分たちのために生きるのだからと世間を気にしなくなったんです。“私は女優”という考えを手放すことで、“夫と向き合う妻”という自分の立ち位置を受け入れることができました」(小山)
吹っ切れてからはジーパンを穿いて買い物に出かけ、鮮魚店で安い魚を買う。自分を解放すると、周囲の人も親しくつきあってくれるようになり、「主婦の会話」を楽しめるようになった。
過去への執着や憧れは一切ないと笑う。
「仕事をバリバリして一流のレストランで食事をし、パーティーに出席していたことは私にとって “過去の栄光”です。いまはドレスアップして一流レストランに行く気には全くならない。大島が病気なのでどうしても無理なのだから。だったら、自分ができる範囲で楽しめることを考えるべきです。車椅子で行ける近所の焼き鳥屋で充分。考え方を変えれば、いくらでも人生を楽しむことができるんです」(小山)
※女性セブン2012年3月8日号