日本屈指の巨大企業・東京電力。社員たちは、あの日を境に、「電気の供給」という仕事に加え、「原発事故の処理」「巨額の賠償」という大きな責任を背負った。東電社員はこの1年、何を見て、何をして、何を感じてきたのか。そもそもあの悲劇は、なぜ起きたと考えているのか、東京支店の技術部門で働く30代社員に話を聞いた。
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事故後、何度も会社を辞めようと思いました。妻は僕の代わりにハローワークにも行ってくれた。でも、この年で、元東電社員となれば、雇ってくれるところはありません。子供が小さいので、「私立は無理かな」とか「習い事はやめさせなきゃ」とか、将来のことを考えると、暗くなります。今は、「働くことで、少しでも被災地の復興に繋がればいい」と思い込むことで、毎日を過ごしています。
事故の原因? 国と我々電力会社の想定の甘さに尽きると思います。「組織が官僚的だ」「補償が足りない、遅い」という批判は甘んじて受けます。うちの会社は、「部署が変われば別の会社」と言ってもいいくらい、社内の風通しが悪い。
本店勤務の総務や企画といったエリート社員の中には、我々技術部門のことを“電気屋さん”と呼んで馬鹿にしていた人もいた。あなたも電気屋さんでしょ、と言い返してやりたかった。
実は、どう業務を推進したら効率的か、という話し合いをする「全店業務マネジメント推進会議」が、震災の10日前の3月1日に、本店で開かれていました。参加した社員によれば、「社外からの視点が大切だ」と話し合われたそうです。10日後の事故でわかったのは「やっぱり東京電力は内向きの会社だった」ということだから、皮肉ですね。
※SAPIO2012年3月14日号