東日本大震災発生直後、日本企業が競うように多額の義捐金や大量の支援物資を被災地に届けたことに対して、一部に「体のいいPRではないか」といった批判的な見方があったのは事実だ。だが、被災者から感謝をされたプロジェクトも多い。
2月11、12日の両日、東京・秋葉原の「アーツ千代田3331」に、20~30代の女性を中心にした80人のボランティアが集まった。目的は会場に山と積まれた、岩手県陸前高田市や山田町から送られてきた約2万枚にも及ぶ写真の洗浄だった。富士フイルムが震災直後から続けてきた「写真救済プロジェクト」である。
「きっかけは3月21日にいただいたひとりの被災者からの問い合わせでした。『瓦礫の下から拾ってきた写真の洗い方を教えてほしい』というお尋ねでした」(富士フイルム広報部)
同社は2000年の東海豪雨の際、泥水に浸かった写真の洗浄方法に関するマニュアルを作成していたが、海水に浸かったケースはなかった。さっそく南足柄工場で海水を使った実験を繰り返すことになった。
これと並行して被災地に担当者を派遣し、実態を調査した。そこには、泥の中のバクテリアに分解され、色素層が劣化した写真の山があった。放置すれば劣化は進み、記憶や思い出の断片である写真は消えていく。時間との闘いだった。
「6月には社員とOBを合わせて1500人以上がボランティアに名乗りをあげたことで軌道に乗りました。6月27日からの1か月間、南足柄工場の体育館を使い、17万枚の写真を洗うことができました」(前出・広報部)
被災地でも連日実施していた富士フイルムのこのサービスは話題となり、届けられる汚れた写真は日を追うごとに増えていった。8月下旬には一般のボランティアを募集して東京で洗浄することになった。指や筆をつかって水道水で一枚一枚丁寧に洗う方法をレクチャーした。参加したボランティアのひとりが話す。
「赤ちゃんが笑っているボロボロの写真を見ると、『この子は元気に暮らしているのかな、それとも……』なんて、想像をして涙が出そうになりました。できるだけ感情を押し込めて作業を続けようと思うのですが、なかなかうまくいきません」(30代女性)
洗われた写真は自治体施設などで掲示され、持ち主が引き取る。この復興支援が始まって1年、洗浄された写真は100万枚以上になる。プロジェクトリーダーの板橋祐一氏は次のように振り返る。
「『この一枚しかないから遺影にしたい』と申し出る方、キレイになった写真を手にとって肩を震わせる方がいます。写真という思い出はお金では買えないのだと実感しますし、少しでも力になれてよかったなと思います。たとえ一部分しか残らず変色してしまった写真も、現物に近い形で返してあげたい。できる限り続けていきたいと思います」
※週刊ポスト2012年3月9日号