明治初期、国宝級とされる日本美術の名品が数多く米国ボストンに渡った。その理由を、東京国立博物館絵画・彫刻室の田沢裕賀室長が解説する。
「明治政府による廃仏毀釈により、仏教と名の付くものは文字通り見捨てられていました。奈良・興福寺の五重塔でさえ『薪にしよう』といわれた時代、困窮した寺院は貴重な寺宝を売りに出した。受け皿になったのがフェノロサやビゲローです」
大森貝塚を発見した考古学者エドワード・モースの推薦で明治政府のお雇い外国人として来日したアーネスト・フェノロサは、日本美術を高く評価しその虜になった。時を経ず来日した資産家のウィリアム・S・ビゲローとともに身銭を切って美術品の収集に奔走することに。日本側で尽力したのは、東京大学教授だったフェノロサに学んだ岡倉天心。フェノロサ1000点、ビゲロー4万1000点。2人の膨大なコレクションは明治44(1911)年、ボストン美術館に寄贈された。
「個人コレクションが主流の西欧と違い、アメリカでは文化財を美術館に寄付する文化がある。自国に日本美術の素晴らしさを伝えたいと願った2人は、惜しむことなく寄付した。彼らがいなければ多くの美術品が消失したはずです」(田沢室長)
明治3(1870)年に設立されたボストン美術館は、45万点以上の所蔵品数を誇り、収蔵する日本の美術品は10万点超。東京国立博物館で3月20日から開催される「ボストン美術館日本美術の至宝」(6月10日まで)に展示される92点には、多くの国宝級作品が含まれ、うち27点が日本初公開となる。
「例えば、奈良時代における中国・唐の風景画を想像させる『法華堂根本曼荼羅図』。現存する同時代の本格的絵画は薬師寺の国宝『吉祥天像』くらいしかなく、東アジア美術研究における貴重な資料でもある。ボストン美術館は作品保護のために展示期間を厳しく制限しており、おそらく今後5年間は展示されることはないはず」(同前)
※週刊ポスト2012年3月23日号