チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を実質上のトップとするチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相(44)が3月31日から4月5日まで日本に滞在、シンポジウムや講演会に参加、国家議員と会見するなど精力的に活動し、大きな注目を浴びた。そこで明かされたセンゲ氏の意外なエピソードを同氏に密着したジャーナリストの相馬勝氏が紹介する。
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日本訪問の中でセンゲ氏は、自己紹介を兼ねて自らの経歴を披露し、首相選挙に立候補した経緯を初めて明らかにした。
センゲ氏はインドのニューデリー大学を卒業後、フルブライト奨学金を得て1996年にハーバード大学に留学、ロースクールで学んだ。博士の学位を取得し、ロースクールの上級研究員として研究に打ち込み、将来は大学教授への道も開けていたという。
ところが、米国滞在15年目を迎えた2010年秋、インド北西部ダラムサラにあるチベット亡命政府がチベット語で「カロン・トリパ」と呼ばれる主席大臣(首相)の選挙を行なうことを発表、世界各地に散らばっているチベット人にも選挙権があると立候補を呼びかけた。
センゲ氏もこのニュースを知ったが、すでに結婚して娘も一人いるなど米国生活になじみ、ハーバード大で研究生活を続けるつもりだったため、立候補する気はなかった。だが、米国在住のチベット人の知人らが、ツイッターやブログなどで、「ハーバード大ロースクールの上級研究員、ロブサン・センゲ氏が立候補の意向」などと書き込んでしまったのだ。
センゲ氏は当初、「単なるいたずら」と気にもかけなかったが、立候補受付の期日が迫ってくると、インターネット上では「ハーバードのロースクール出身者がチベット亡命政府の首相選に出るらしい」との話題でもちきりとなった。
このため、センゲ氏はネット上に書き込んだ知人に連絡。知人は「ワシントンやダラムサラ、インドなどに電話をかけたが、お前(センゲ氏)に投票する人はほとんどいないだろうということだった。立候補しても、すぐに負けるから大丈夫だ」として、センゲ氏は“泡沫候補”だから心配いらないと答えたという。
結局、センゲ氏はうわさが広まったこともあって仕方なく立候補し、世界中のチベット人居住区を訪問し選挙活動を行なった。すぐに撤退するつもりだったが、第1回選挙では何とトップの得票数を獲得してしまった。
その時点で、センゲ氏も事の重大性に気が遠くなる思いを感じ、亡命政権の知人やダライ・ラマの側近らにも相談したところ、「いま有力候補者の君が撤退すれば、選挙の意味がなくなる。もう後戻りはできない」と逆に説得を受け、センゲ氏は最終投票に臨むことになった。
その折も折、2011年3月10日、ダラムサラで、ダライ・ラマが「私の政治的権限を新しいカロン・トリパに移譲する」と宣言した。それまでダライ・ラマはチベット仏教の最高指導者であるとともに亡命チベット政府の政治的トップでもあったが、その政治的な権限を委ねるというのだ。
他の候補者とともに、その場に同席していたセンゲ氏は「もし当選すれば、ダライ・ラマの代わりをしなければならない。そんなことができるはずがない」とショックで、身体が崩れ落ちそうになったという。
そして、4月初旬、最終的に当選したことが決定すると、センゲ氏は「もう、後に引けない。尊敬するダライ・ラマの期待に応えなければならない」と逆に腹を決めて、チベット人のために首相として誠心誠意がんばる決意を固めた。
「私は当初、首相になるつもりはなかった。それが、知人の思いつきがもとで私が当選してしまった。今回の選挙はウェブ時代でなければあり得ない選挙だった」とセンゲ氏は振り返っている。