いったいどこまで負け続けるのか。今季、新球団として心機一転した横浜DeNAベイスターズには悪夢のような開幕となった。日増しに強まる監督や選手への風当たり。だが、彼ら同様に懊悩する男たちがいた。球団裏方業――その仕事は、かくも辛くて、かくも苦しい。
横浜DeNAの一軍マネージャー・八馬(はちうま)幹典(37)は正強高校(現・奈良大付属高校)、青森大学、三菱自動車京都を経て、25歳だった1999年にドラフト8位で横浜に入団した。俊足のスイッチヒッターであったものの、わずか在籍3年で戦力外通告を受けた。他球団で野球を続けようとしたがオファーはなく、そこに「マネージャーをやってみないか」と助け船を出したのが横浜だった。
「最初は自分には厳しいなあと思いました。現役中から、常に動き回っているマネージャーの仕事ぶりを見ていて、大変な仕事だということは分かっていましたから」
選手が着用した汗まみれのユニフォームを集めてクリーニングに出す。その行為は、現役の道が絶たれたばかりの八馬にとっては、苦痛でしかなかった。しかしそれも、シーズンが始まれば自然と消えていった。
誰しも選手は、同じチームのライバル選手の活躍を素直には喜べないものだ。だが裏方として選手を支える立場になると、選手の活躍や勝敗に一喜一憂する八馬がいた。
「少しずつ選手としての未練はなくなり、仕事が楽しくなっていきました」
マネージャーとしての主な仕事内容は、チームのスケジュール管理である。球場入りから試合、そして球場を出るまでの、分刻みのスケジュール表をエクセルで作成して全選手に伝える。
「プレー以外のチーム管理全般を任されています。他に、試合前に提出するメンバー表を作成したり、ベンチ内のホワイトボードにベンチ入りメンバーの名前を書くのも、私の仕事です」
球場に到着するとまず、ファーム(二軍)首脳陣から届く前日の試合内容や練習内容の報告書をパソコンからプリントアウトし、監督の中畑清やコーチ陣が回覧できるようにまとめる。
「ファームの情報を一軍でも共有するわけです。新球団となって、メール連絡が増え、情報を共有することが圧倒的に多くなりました」
遠征の移動手段の計画や宿泊ホテルの手配も仕事に含まれ、新幹線内の座席順や、ホテルの部屋割りも彼の仕切りで決められていく。新幹線に乗車する際は最前列に監督、コーチが並び、次に選手を配置する。
「なるべく仲の良い選手同士を並べますね。逆に同じポジションのライバル同士を一緒に座らせないように気を遣います。窓側の席を好む選手、通路側を好む選手などいろいろいますからそれをすべて把握していなければいけません」
遠征先ホテルはワンフロアを貸し切ることが多いため、選手の希望に添った部屋を用意することも可能だ。
例えば“ハマの番長”三浦大輔の部屋は、背番号の「18」という数字が入った「618」の部屋を選ぶ。
「誰しも背番号には特別な思い入れがあります。一つ年上の番長とは、高校時代も対戦したことがあるし、プロで一緒にプレーした選手のひとりでもある。それに球団の功労者ですから、配慮はしています」
腰痛の選手がいれば、事前にホテルに連絡してベッドを取り除いてもらい、固い床に直接敷き布団を敷いてもらうという。通常、監督・コーチ陣やベテラン選手から広い部屋を割り振っていくが、今年の開幕戦前夜は、初めて開幕投手を務めることになった26歳の高崎健太郎に広い角部屋を用意した。
「開幕投手というのは、プロ野球選手にとっては特別な任務。他にたくさん先輩投手がいますが、高崎にはできるだけ調整に専念できる部屋を用意してあげたかった。もちろん、お祝いの意味もありました」
●レポート/柳川悠二(ノンフィクション・ライター)
※週刊ポスト2012年4月27日号