佐木隆三氏は1976年、『復讐するは我にあり』で第74回直木賞を受賞。一連のオウム事件では傍聴記を執筆した。1999年8月から故郷・北九州で暮らす佐木氏が、オウム裁判について語った。
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帰郷した1999年当時、私はちょうどオウム事件の裁判を傍聴しておりましてね。それこそ月曜から金曜まで東京地裁に通いっぱなしでしたから、それでもう心底うんざりして、実は発作的に帰って来ちゃったんです。
私は麻原彰晃一人が死刑になればよく、他の連中は死刑にすることはないんじゃないかと今でも思っていますけど、そうはいかないわけですからね。豊田亨にしろ広瀬健一にしろ、あんなに優秀で純粋な若者が、なぜあんな尊師の言う無理難題をひたすら実行し、極悪非道を働いたのかという思いがこみ上げて、その虚しさは例えば宮崎勤に感じる虚しさとは全く異質です。
しかも当の豊田たちが『自分の罪は死刑に相応しい』と言っているわけですからね。弁護人も困り果てていましたが、私は彼らの顔を思い出すだけで涙が出る。
ですから私はどうあっても麻原は死刑にすべきだと思いますし、何とか自分が死ぬまでに彼の死刑執行を見届けたいと願っている。先日死刑が確定した『北九州監禁殺人事件』の松永太の場合もやはり死刑は当然でしょうし、そこがまた私の大いなる矛盾というか、インチキなところなんですが、死刑制度そのものには懐疑的でいながら死刑廃止とは言い切れないんです。
つまりこれまで100件以上もの死刑判決に接し、そのつど冷静でいられなくなりながらも傍聴に通うことを繰り返してきた私は、豊田や広瀬は死刑にすべきじゃないと思うくせに麻原など特定の人物に関しては、こいつだけは死刑にすべきと思ってしまうんです。
そのインチキさはおそらく彼らの弁護人ですら抱えているもので、もしかすると人間そのものがインチキでいい加減というのと同義語かもしれない。人間一皮剥けば、とは申しますが、私がインチキな人間なら、私が会ってきた犯罪者たちもいい加減で、それを裁き、弁護する人間もインチキでいい加減。そしてアイツは悪い人間だ、死刑にしろと言う皆さんも、たぶんインチキでいい加減なんです。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号