介護がさまざまな社会問題を引き起こしている。「認知症」の親に、そして子供たちに、今何が起こっているのか。作家・山藤章一郎氏が見た介護の現実とは……。山藤氏が報告する。
* * *
54歳の男は86歳の母の首を絞めて殺した。ついで、おのれの首、胸などを包丁とナイフで切りつけた。だが死ねない。
京都〈桂川〉の河原、目前のクスノキにロープをかけ、首を吊った。それでも死ねない。早朝、散歩人に発見された。公判で男は陳述した。
「(母は)ぼくの姿が見えないと名前を呼ぶのです。呼んではこちらへ寄ってくるのです。12月の後半ぐらいから夜のトイレに起きたときに、ぼくの寝間に来てはここへ入るといい出すのです。
仕方がありませんので、おふくろと一緒に抱き合って寝ました。そういう状態が続きました。……ぼくが台所で食事の用意をしていると、母は私を呼び、赤ん坊のようにハイハイをし、私の所に寄ってくるのです。
それがかわいくてかわいくてなりませんでした。そして抱きあげると、にこっと喜ぶのです。で、抱いてやると、強く抱き返してくれるのです」
京都市伏見区の〈承諾殺人〉事件の母子である。
男は勤めを断続させながら、長く母の介護をし、4畳半と6畳、3万円のアパートに住んでいた。「まだ働ける」「失業保険がある」という理由で生活保護の申請を却下された。
カードローンが借りられる限度の25万円に達し、命の瀬戸際に追い込まれた。手許に7000円。ふたりで一緒に死ぬと決めた。
前夜「明日で終わりやで」と母に言い聞かせ、コンビニのパンとジュースを、最後の朝の食事とした。「どこへ行きたい?」「人の多いとこがええなあ」。
昔、父もいて家族が元気だったころ、買い物に出た〈新京極〉〈河原町〉へ行くことにした。一家の家業は〈堀川通り〉の京友禅の染めだった。
母を車椅子に乗せ、京阪電車で京都三条に向かう。25分ひとり300円の死出の旅である。車椅子の母を押して夜まで鴨川のほとりと繁華街をさまよい歩いた。10時になった。だが、行くところはない。
「もう家には帰られへんのやで」息子は母に説いた。電車でアパートの近くまで戻り、〈桂川〉の橋の脇から土手に出た。今日一日ずいぶんと歩いた。息子は母に話しかける。「もうええか」「最後やで」「すまんな」「ごめんよ」「寒うないか」。
最終陳述で、息子は自筆の書面を提出した。
「母は目が覚めると私を目で追い、夜は私がベッドに入り、添い寝をし、抱きしめてやるとよく眠る。食事の用意で姿が見えないとハイハイを覚えた赤ん坊のように四つんばいで、やってきます。抱きあげて、ハグハグすればもっと強くしろと言い、しばらくそのまま抱いてやると話しかけてくれます。母が子供に戻って行くのです」
土手に降りた母子は、川沿いの遊歩道を60メートル行く。クスノキがある。車椅子を覗きこんで息子はいう。「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」
母は答える。「そうか。あかんか。……一緒やで。おまえと一緒やで」「すまんな。すまんな」「こっち来い。こっち来い」
手招きされた息子は、母とおでこをごっつんこした。最後の最後の母と子の会話である。
※週刊ポスト2012年5月4日・11日号